僕はこう考える教育論その1

 お客さんや友人のお子さんで心を病んでしまったり、その結果不登校になったり、休養を取らざるを得なくなったりとかというのをちょくちょく耳にします。僕らの小さい時と比べてやはり増えていて良くない傾向です。その原因とされているのがストレスであろうかと思います。そして編み出された(?)のが「褒めて伸ばす!」という手法。しかし海外の論文で驚くべき研究をした学者さんがいました。

 それは学力が平均的でほぼ成績が同等の子供たちをAグループとBグループに分けてAはとにかく褒めて伸ばすを徹底、Bにはストレスを掛け続けるスパルタ教育を施しました。そして試験をした結果、Aは大部分が平均点のちょっと上に位置しましたが、Bは超上と超下に2分化するという結果が出たんだといいます。Aはまあいいのかとも思いますがBには圧倒的な格差が生じて格差社会が問題視されている昨今、いい結果とは言えません(ちなみにAグループからは一番上のスーパーゾーンに達する子は一人もいませんでした)。そして学力だけでなくスポーツや音楽に対しても同様の実験が行われましたが結果はどのジャンルも同じような結果だというのには驚きです。

 そこでBについてなぜ格差が生まれるのかと詳しく解析されました。その結果ストレスに耐え切れなくて駄目になってしまった子達が下層部、上層部はストレスとうまく付き合った結果だという事が解ったのだそうです。なんでここまで無茶苦茶されるんだろう、なんでこんなに罵られなくちゃいけないんだとか思うけれども、これは自分にとって必要なストレスであり試練なんだと、これを乗り越えてこそ結果が出るんだから仕方がないと割り切って頑張った、このハードルを越えれば新しい世界が見えるだろうからこんなことでは屈してたまるか、という風にストレスを自分の成長の糧にした子と、出来なかった子の違いだそうです。

 僕たちはストレスは悪いものだと思い込んで来ましたし、社会でもそういう風に教育されています。自分もそういう風に考え教えて来たかも知れません。しかし人類といわず生物全てが地球上のあらゆる自然的ストレス、死ぬほどの暑い寒いあらゆる災害に耐え抜く為に変化・変態してきたものだと思うと進化論上ストレスこそ必要だったのだとすら思えます。ストレスは悪いもんじゃない。自分が壊れない程度のストレスはむしろ良いものだという認識、自分の成長にとって必要なものなんだと「脳で考えること」こそが重要だったのです。ストレスこそ友であると。

 そう考えればストレスとうまく付き合うというのは例えば社会人であったら飲みに行って会社や上司の愚痴を言い合ったり、休みの日に趣味に没頭したり、ゆったりとした自分だけの時間を作ったりというのは実はごまかしているだけではないだろうかと思えてきます。まやかしの世界に浸っているだけじゃないか。うまく付き合うということはストレスと向き合って自分を進化させること、自分にとってストレスこそが頑張れる元、エネルギーだと思い込む。脳でそのように考えること、それこそがストレスをコントロールする本当の意味ではないだろうかというふうに。つまりですね、日本では危険なワードとして忌み嫌われている「根性論」、これもあながち否定されるもんじゃないという事が言えます。非常に危険な話になってきそうな続きは教育論その2で(笑)。

 

おしまい