僕はこう考える教育論その2

 え~、いつも文章が長いと読む気がしないという声をたくさん頂いていることを思い出し短く行こうとは思います。

 数学といえば例えば微分積分など社会人になって使う事もないし3桁の掛け算を暗算で出来る人も正確で速いからという理由でスマホの電卓を使ってます。これって学校教育が役に立っていないじゃないかと思ってしまいますよね。でもそういう事ではないんです。整理します。

科目別  学習することの目的(意義)→ 理想と現実との相違

数学・・・物事を論理的に組み立て考える力を養う為。→ 公式を暗記しただけで応用力は身に付いていない。

国語・・・言葉の持つ表現力を駆使して相手に最高の形で伝えられるようにする為。→ 漢字や熟語をいくら覚えても豊かな表現力で使用できていない。

社会・・・過去に起こった事例をその背景と思惑を考察し将来に生かす為。間違えない為。→ 年表を覚えただけでは今後の人生の何の役にも立たない。

理科・・・実際に目の前で起こっている真実を突き止める為。→ 真理の探究を考えないと見えている事だけで判断してしまう。 

体育・・・この動きをしようと思えばこれが必要だという理屈を脳で思考する為。→ 健康管理ははたして十分なのだろうか。

道徳・・・人の幸せの本質について考える為。→ そもそも教科書の中身が正しいかすら解らない。

音楽・・・あらゆるイメージを膨らませる為。自由な表現と自己主張を学ぶ為。→ 音符が解っても実生活に役に立っていますか?

各科目の目的・意義のその先に何があるのかは解らない。しかし考えようとしなければその先は見えもしないだろう(しかし音楽は突き詰めたらMISIAになるに違いない笑)。

 自分でもそうですが社会人になっても人にモノを伝えることが下手だったり、真実を一発で理解できなかったり、こうなればまずいという状況でも打開策を打ち出せなかったり、とにかく残念な大人が多いことを感じます(出来ない言い訳だけは達者になるんですが)。言われたことは出来るがそれ以上のことは出来ない、思いつきもしない。思考停止の受け身でそういう人がもっと増える気がしていてかなりの危険を感じています。電化製品と同じ末路をIT産業も基幹産業と言われる自動車、製造業も悲惨な末路を辿るのはもはや必然の流れです。その根幹はこの国の受験制度に最大の問題があると言わざるを得ません。

 さらに勉強はいい大学に入るのが目的じゃなくて思考力や脳を鍛えるために勉強が必要でそれに対応した試験制度を導入すべきです。前にも書きましたがそれを実践している大学はもうすでにありますので、そういう大学を調べてわざわざ進学し、4年か6年か解りませんけれどもさらに専門知識と脳を鍛えて社会に役立つ人として巣立って頂きたい。偉そうに僕に言われずともそういうふうに考え進学している子供たちも徐々に増えてきているのも事実ですが、まだまだ少ないです。

 とはいえ勉強は楽しかったらいいのですがそうでなかった時に苦痛ではないでしょうか。そこで最も大事なのは継続する力。その1で触れた「根性論」にも繋がってきます。そもそもダイエットをすると決めたとして5Kg痩せるのが目的なのか5Kg痩せた体重を維持するのが目的なのかで手法もメンタルも違います。また物事の考え方に圧倒的な差があります。マイナス5Kgを維持しようとすれば、痩せるメニュー以上に「継続的に続けなくてはいけない自分ルールを守る必要」があります。これは好きな事なら問題ないんですが嫌いだったら苦行です。その1で述べたストレスを友とする方法で乗り切るのがベストですが、それでも苦痛な時は死んでも続けてやるという意思、気合、根性で乗り切る以外ありません。ということでスポーツ界で忌み嫌われている根性論、普通に必要です。そしてそれが出来ない大人は弱いです。鬱の増加はストレスの量ではなくてストレスを糧に出来ない人の量の増加です。

 だからこそ僕は小学校の時に強さを身に付けて中学高校に進んで欲しい、それだけが望みです。続きは教育論その3で。

 

おしまい