ホンマかいな!?

どうなってんだ?日本の報道は全く報じない。

勝負はかくも乱戦よ(アカギ・赤木しげる)。

ルドルフ・ジュリアーニ、シドニー・パウエルが動き出した。

この闘い、是非など問わず(蒼天の拳・霞拳志郎)。

全ての終わりは全ての始まりでしかない(花の慶次・織田信長)。

映画化間違いなし!?IT、AIの台頭が民主主義を終わらせた!?

人類はどこに向かってんだ!?

 

おしまい

大丈夫か!?俺 世界初のレベル3!?

ホンダが今期中に世界初のレベル3を発売すると発表しました。新型レジェンドです。自動運転レベル1、2、3、4、5の違いって解ります?レベル5は未来の完全自動運転化です。これはもう車と言っていいのかレベルの乗り物になっているはず。でですね、この4月に道交法が改正されましてこのレベル2と3の違いが実は目玉でした。レベル2はスマホを触っていると違反、レベル3は「その状態」であれば違反にはなりません。「その状態」というのは自動で運転してる状態で高速道路上かつ、ある条件下でのみ働く自動運転機能ということです。例えば故障した時に車が勝手に減速して車線を認識し路肩に手放しで寄せ停車させるなど、現在のホンダセンシング、プロパイロット2.0、アイサイトXなどでは付いていない機能です。車内に人感センサーが付いていて運転者が前方視界を切るとOFFになるというハンズオフ(自動切断機能)が付いているのも特徴ですね注1。ですからセンサーなども今よりたくさん付いていて軽自動車なら一体いくらになるのかという事から果たして普及するのか疑問ですがとにかく市販化は世界初という事ですね。ただし100km/hとかでは効きません。あくまで低速時のみです(の、はずです)。

日本は規制が厳しくて有名ですが実はグーグルやテスラが地球何周分も公道実験しているのに関わらず日本は0Km、許されませんでした。さすがに2年ほど前だったか緩和されて公道実験OKになったのですが周回遅れもいいとこです。

このような規制に対して某N社のCMでは手放し運転しているというのは国交省に対する挑発!?とも思えますがルノー傘下ははっきり言って日本の役人なんか知るかってな感じと、細かすぎるんじゃいって感じと、役人天国の仕組みに対しての問いかけの意味もあるのかと。日本の企業だと到底出来ませんが、良い事だと思います。

このような日本の規制社会のおかげで白物家電や携帯やスマホはガラパゴス化した経緯を経て世界市場から退場させられましたが、大丈夫か!?日本の車産業!!ってニュースの裏話でした。ちなみにレベル5は30年後というのが僕の予想です。気が遠くなってきた。

関係ないですが僕のスペイン語レベルはレベル0.5です。

 

 

 

Hasta luego!! Muchas gracias!!

 

注1・・・え~、私の認識としてはこんな感じなんですが全く自信がないので間違ってたらすいません。ご寛容な方の優しいご指摘のみお待ちしています(笑)。

論点はそこじゃない

たまにはツイッターみたいに短くいこう。この記事内容は酷い。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0533b6814358b828a164d06cdf94dc6bd486ee8c

論点すらずれている。アメリカの大統領選、大阪都構想、分断を強調するクソ記事しか書けないメディアは頭が悪いか、金の為にわざと書いてるのか、国家の分断を目的としているのかは知らないがクソであることは間違いない。

言論の自由を振りかざし、民主主義気取りを叫ぶほど質の低いものはない。小学生以下のクソどもであるが、コメント欄にはそれに騙されない人たちが増えていることが救い。

平松元市長も含め分断煽ってどうすんの?善良な大阪人を巻き込むな!

 

おしまい

 

僕はこう考える教育論その3

ここ何年も読んでいないが音楽雑誌「ロッキング・オン」は高校以来最もよく読んだ雑誌の一つである。「ロッキング・オン」は洋楽専門雑誌である。当時ネットも無かったので海外アーティストのコアな情報はここにしかなかったと言っていい。僕が考える邦楽と洋楽との違いで最も大きかったのは言葉をメロディーやリズムに乗せた時の美しさとかカッコよさ、歌詞の内容には雲泥の差があった。もう邦楽なんか幼稚すぎて聞いてられない程だった。現在ではそんな違いは全くない程、邦楽は進化し洋楽は陳腐になった。それはともかく双方に最も違和感を感じたのが音楽性ではなくインタビューの中身であったのだ。

とにかく文字数が多い。例を挙げると「今回~なのは~だったからなんだ。というのも~ということに導かれたと言っていい。しかも~は~も兼ねていた。何故なら当時の僕たちは~だったからね。そのような結果として~を手に入れたと言えるかもね。例えば~」みたいな洋楽アーティストのインタビューの答えはとにかく長くて論理的だった。ジミーペイジ、デヴィッド・ボウイ、トム・ヨークしかり、あのリアム・ギャラガーですらだ。日本のアーティストはもっと淡白で自己分析が出来ていない人が多かった気がする。向こうの音楽は論理的であった。洋楽のロックはラジカリズムと切り離せなかったのである。時に哲学者のようであった。

その原因がこの歳になってやっと解ったのである。問題はイギリスの幼少期の教育にある。例えば数学で例を示すと日本では数学のテストはA3の紙1枚にいくつか問題があって回答記入欄に答えを書くか4つのうちから選択するのが一般的だと思う。イギリスでは白紙の紙を問題数ごとに何枚か渡されそれに解き方を書いていき、そのプロセス(頭の中の考え方を図式化したもの)と答え両方で採点される方式である。つまり答えが合っていてもプロセスで理にかなっていなかったり、ミスがあると減点されるので100点は取りにくい。つまり考える力を養うことに重点が置かれている。論理的思考を身に着けるために教育があるという考え方だ。この為にあのリアム・ギャラガーですら論理的だったのだ。一方で日本はプロセスは過去問の暗記でよくて、そこは問われず最終解答だけが問われる。ただし、解き方を暗記しているので解答までが圧倒的に早いという利点がある。

しかし社会に出れば暗記が役に立つ頻度と思考が役に立つ頻度を考えればどうだろうか。争いが無くなる社会にするためにはどうするか等、世の中には最終解答がない問題ばかりといっていい。このような課題に直面した時、暗記教育はフリーズしがちです。とはいっても戦争をなくすというのは論理的に考えても難しいんですけどね。つまり日本の教育はテストで高得点を取るために存在しているといっていい。大学入試の為と置き換えても良く、韓国もそれに近いですね。しかしそれって教育の本質から逸れてるような気もします。柔軟な考え方が苦手な原因がここにあるのではないだろうか。

とはいえ、欧米も暗記教育をもっと増やしてもいいと思います。早いですから。日本は論理的思考を増やした方がいい。うつ病が増えてる原因はここにあるかも知れないと個人的には思っています。繊細な問題なので誰も言わないですが何十年後かにそんな論文がでて証明されるんじゃないかとも思っています。欧米式と日本式を足して2で割るくらいでいいんじゃないかと僕は思いますけどね。小さいお子さんをお持ちのご家庭にはぜひ「非認知能力」を育てるという観点で接してあげて欲しいなと思いますね。決められた常識なんてもっと疑っていいのだ。非認知能力!?それはまた今後書きたいと思います。

 

 

おしまい

補足・・・でも日本の数学のレベルはめちゃくちゃ高いです。

大阪都構想の裏

保管庫の補足をしておきます。

前回、堺屋太一さんが目論んだと書きましたがそれは道州制への変革であって、元をただせば2003年、もう17年も前の太田房江知事時代に大阪財政がめちゃくちゃになりこのままでは大阪が壊れてしまうと自民党の一部の議員が立ち上がり大阪自民が2つに割れました。それが松井一郎と浅田均です。発端はこの2人で浅田均こそが頭脳となり維新の原型が出来上がりました。このおっさんは英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、バリバリの大阪弁を喋り、スタンフォードにも留学した2世議員ですが地方議員にしてはありえない頭脳を持っています。ですから橋下徹出現より7年も前から都構想は始まっていたのは実はあまり知られてはいません。

そして今から13年前に太田房江さんを破りそこから大阪府民誰もが認めるほど大阪は変わりました。橋下徹を神輿に乗せて大阪維新の快進撃が始まるそこには島田紳助さんと故やしきたかじんさんのピース失くしてなかったと思います。

それはそうと好感度のある吉村知事が今回積極的に出て来なかった理由も述べておきます。今年の3月くらいからある政党が放送法第4条に反するという内容で猛烈にTV局にいちゃもんを付けてきました。都構想が有利になるので吉村をTVに出すな。そんなことを言ってもコロナの会見とか知事が出ないと始まらないのでいちゃもんレベルなのですが都構想で番組討論をする際は吉村が出て来たら出ないと。しかし松井なら出ると。TV局側は討論番組が作れないので維新は松井さんを出すしかない。吉村さんが表舞台に出て来なかったのはそういう背景がありました。ある政党は姑息ですが戦いの上ではナイスプレーでした。もちろんこんな情報はもちろん地上波では報じられる訳がありません。

もうひとつ、地域別の投票割合を見てみるとかなり傾向が見て取れます。年齢別が取りざたされていますが実は大して意味は大きくありません。しかも前回も同じ傾向なのでおそらく次やっても同じ結果になると思いますが、平均所得が低いところは反対しているというのが本質です。これは世界でもよくある事情で数十年で変わるものではありません。将来不安と密接に関係していて変革にはネガティブなんですね。ということはそこが無くなれば可決ということになる!?

でもこれ、そういう問題じゃないんですよね。前回も書きましたが一国における地方自治の問題なんで(ここ甲賀市なんて100年たっても基本姿勢は変わりません)。ブラマヨの吉田さんなんかは凄く理解されています。また彼の発信した内容に対するコメント欄に書き込む人たちも凄く理解されています。しかし大阪市民の多くは実は理解が無かった。理解させなかったのは維新の問題ですがだからこそ思うんですよね、民度の熟成はまだまだだと。100のうち30くらいかなと。

ということで簡単にまとめましたが結論としてたかじんさんがいれば都構想は賛成多数だったと思います。今更ながらたかじんさんは凄い人と思わせる大阪都構想問題でした。

 

 

おしまい