THAI-YA-TAI つづき

今が人生のピークだろうかと見間違うかのようだ。私の今はそんな状況下にある。これでもかと思い通りに運び、そんなことある?っていうくらいに神がかったことが起きて幸運を呼び寄せている。超常現象のような日常がいくつも起きる。宝くじが当たった訳ではないし、そもそもお金が増えたとしても幸せではない。けれども小さな幸せがあれよあれよと押し寄せて来ているのだ。私は今、万能感と多幸感に包まれている。非常識で不可能に思えることも今なら出来るかもと思える程だ。

遂におかしくなったのか。否、頭は元々おかしいだろ?

いえいえ、別に変な薬打ってるわけではありませんよ(笑)。へんてこな壺を買った訳でもない。これが恋なのか。恋という言葉の意味すら理解できないくらい縁がない。しかし先ほど述べた人生のピークというのはまだまだ先である、と信じたい。この程度ではないはずだ、と思いたい。まだやり遂げていない自分に課せられたミッションはたくさんあるが時間は刻一刻と少なくなってきている。これは何人たりとも抗えない。そしてやはり良い事ばかりじゃない、それが世の常だ。

先日、会社が終わり外で遊んでいた。21時頃だった。電話が鳴った。母親からだった。暫く鳴っていたらしく出ようと思ったら切れた。嫌な気配である。母からの電話は普段はない。あって2~3年に一度なのだ。しかも内容にろくなものがあった試しが無い。しかもこの時間である。まずまともな内容ではないなと思っていたら、またかかってきた。尋常でない雰囲気を覚悟して出ると「お父さんがっ!お父さんがっ!大変な事になった!すぐ帰って来て!」と狼狽した様子である。普段の母親なら命令口調なのだがこの時はそうじゃない。それだけでも事の異常さを察知した私は「ついにこの時が来たか」と冷静に「解った、すぐ帰る」とだけ言って電話を切り、可能な限り車を飛ばした。

家に着いた私はいたって冷静だった。こういう時こそ冷静沈着でいなければならないと思っている。静かに歩いてゆっくりとそして覚悟をもって中に入るとリビングに人はいなかった。TVだけがついているが静かなのだ。風呂場に通じる扉が半開きになっていたのでそこかと思い風呂場に向かう。風呂場で事が尽きるケースは周りでもよく聞いているし何も違和感はない。この時が来たのだなと現場を見た。浴槽のお湯はもうない。浴槽に横たわる父を洗い場に座りながら見ている母。僕は冷静に慌てることなく「救急車はもう呼んだんか?」と言った。「呼んでない。意識ははっきりしてそうやし。」「えっ!?」。さすがに「まだ生きてんのかよ!?」と口から出なかったが、そうです、どうものぼせただけだったというのが真相だったのです。あまりに長いので見に行ったところ沈みかけていたらしい。で、応急的にお湯を抜いたらしい。少し遅れていれば溺死していたであろうが九死に一生を得たのだろう。おそらくあと5分とかそんな時間が事を大きく左右するのだろう。運が強いなと思った。

そこからが大変だった。この歳のね、僕ら世代の人達ならもう経験済みかも知れないけれどこのようになった人を抱きかかえて起こすのは無理なのだ。重すぎる。どんなに踏ん張っても大人の男でもびくともしない。そうこうしていると弟夫婦がやってきた。弟嫁は介護福祉士の資格を持ちそういう施設で働いていたので慣れたものだった。びくともしない父親を一人で浴槽から立ち上がらせた。そんな方法があるのかと感心するのだが、脳梗塞の疑いもあるので今からでも救急で診てもらった方がいいということだった。そもそもだ。父と母はそうでもなさそうだが、私と父、私と母の仲は実は良くない。これには少し事情があるが割愛する。「お前ら(弟夫婦)が連れて行けや!」と言いたかったが長男の責務という言葉がよぎり僕が母親を同乗させ連れて行った。この時22時。

コロナ禍の甲賀病院は初めてだ。急患は自分も何度か経験があるがいつもに増して静かだった。父は母に支えられながら自力で歩き診察室に入っていった。診察を終え部屋から出て来た父は手足の痺れもなく真っ直ぐ歩けているので異常は見られないので大丈夫でしょうと、今後の様子を見て下さいとのことだった。実は僕は2~3日前から下痢でもないのに下腹部が痛い。癌が発覚したとしても治療はしない、あっさりと死ぬという主義なので、定期健診にも否定的である。しかしあまりの異常な痛みなので治療の為の人間ドックと脳ドックを受けるというのは悪い事でもないと思っていた矢先だった。コロナ禍なので余計に不必要な会話は慎まなければならないのを敢えて聞いてみたのである。それほど腹が痛い。たまに心臓も痛い。頭も痛い。夜勤の事務の方に聞きましたよ。

「あの~、こんな時に何なんですけれども、全く関係ないんですが、マスク越しなので喋っていいですか?僕、2~3日前からお腹も痛いし初めて人間ドッグ受けてみようかと思ってるんですけどこのコロナの状況でもやっておられるのですか?」担当者は苦笑しながら「救急と向こうはまったく別の組織になっていて解らないんですよ。明日でも向こうに聞いていただけますか?」だと。なんで苦笑されたのかはさておき、まあいいや、縦割りかよと思いつつ、数日たつがまだ問い合わせてはいない。実は甲賀病院にも甲南病院にもお世話になりたくない理由があるし、お腹もそんなに痛くなくなってきたし。ということで静かに廊下を3人で車に向かう。

不思議な光景である。このように私と母で父を支えて3人で歩くことなんか人生で予想もしていなかった。それほどこの親子の間にはいびつな蟠りがあるのだ。それを開放する日が私の人生におけるひとつのテーマだと思ってはいるのだが身体が拒否して動かないでいる。それに関わらず今は父親を支えながら歩いているのだ。父は支えていないと右に傾きすぐに右壁に当たるので、本当に大丈夫かよと思いつつ、のぼせてるだろうしまあいいかと帰宅(笑)。時間は23時。今が人生のピークだったら確実に嫌だ。

というですね、事があった訳ですよ。これがミルクボーイの話の前段。みなさん、鋭い方はもうお気づきかも知れませんが続きはまた来週へ。

 

つづく