投資のおはなし 番外編

パンデミックの25年前。1995年、カタリン・カリコー博士がペンシルベニア大学で「あなたの研究はお金にならないから別の研究をするか、降格かどちらかを選んで下さい」と言われ「降格して下さい」と答えた。上司である教授は信じられないという顔をし沈黙した。この行動が無かったら今回の新型コロナウイルスの猛威に人類はどう対応していただろうか?そのような決断をしてまで「人類を救うことになるかも知れない研究だから」と当時、自身に癌が発覚し夫は母国ハンガリーから出国できず米国に一人で暮らさざるをえなかったに関わらず研究を優先したカリコー博士がもしいなかったら果たして現在の今はあるのだろうか?その研究の名は「mRNA」。

この研究がスタートしたのはさらに10年も前にさかのぼる。当時、医療業界やウォール街はとてつもない研究がなされているとざわめいていた。これが実現すれば癌で死ぬことも無い世界になる可能性がある。しかしあまりの難易度の高さに数年後には絶対に不可能だと世間に見捨てられたのだ。実際、どう調節してもカリコー博士の実験室では実験用マウスの死体だけが増えていった。免疫細胞が過剰反応しその動物は最終的に死んでしまうのだ。そのカリコー博士がある日ある学術論文を読んでいて当時研究されていたmRNAの4つの成分のひとつ「ウリジン」について書かれた一説に目を輝かせた。ウリジンは免疫暴走を誘発することがある。ここからさらに研究を続けついにマウスは死ななくなった。ドリュー・ワイズマン博士の協力が無ければどうなっていたか解らないというのも付け加えておかなくてはならない。そう、コピー機の前の偶然の出会いがなければ、である。成功の陰には偶期があるものだ。

このように大学の研究室でひっそりと研究を続けてもそれが世の中に出るかどうかは様々な関門の突破が必要である。どれだけの研究者が途中頓挫したことであろうか。研究を続けるには資金が必要で資金調達は教授の大きく、かつ面倒な仕事のひとつである。特許を取り、そして製品化となると会社を設立しなければならない。会社となると学者にマネジメントは無理なのでまずは経営者を探すのが先決である。これが2005年の話である。だが科学界のmRNAの興味はもはや失われていて彼らの発見は殆ど注目されなかった。そのような企業の社長を誰が受けるというのか。火中の栗を拾うという諺が日本にはあるが、マウスにしか成功していない研究かつ、臨床実験から製品化し販売するというのは成功確率は5%以下に思えるミッションである。にもかかわらず研究の継続の為だけにも数千億円を調達してこなければならない。売上がないのに。失敗すれば八つ裂きだけでは済むはずがない。

フランスの疾患や汚染の原因特定や診断をする会社「bioMerieux」のCEOだったステファン・バンセルが妻の助言によりモデルナ社からのヘッドハンティングを受けたのが2011年である。論文発表から実に6年もの時間が過ぎたのは想像を絶する絶望の連続の克服と執念といえる。そう、モデルナ社はここから本格的に稼働したといってもいい。会社が設立してから未だ商品化したことがない会社で資金は2億円程。実際、10年間の研究で数千億円を必要とした。この研究資金を様々なところから調達してきたことでモデルナの現在がある。そんな経営者だからこそ社内体制も強烈だ。まず優秀な人間のヘッドハンティング、怠け者は解雇、時間内に結果を残さなければ解雇、社内競争は激化、疲弊し、不満続出、医療業界では例を見ないほどの離職率。そしてモデルナ社初の商品が2021年の新型コロナウイルスワクチンである。実に16年かかって初めて公に売れるものを作ったというこのワクチンは執念の結晶である。ちなみに日本におけるIPS細胞の研究も大いに影響を与えている。世界中の様々な研究があってこその完成なのである。

株式上場しても大手投資家から何回も見放され、暴落を繰り返し、絶体絶命の危機を何度も乗り越えモデルナ社の現在の時価総額は約19兆円である。ここ2年で一体何倍になったのだろう。ちなみにワクチンは年に1~2回打てば役目を終えるので飲み薬より儲からない。治験のリスクも高い。なので製薬会社は大手になるほど継続的に儲かる飲み薬の新薬に投資する。ベンチャー製薬会社の開発したものを(もちろん研究協力もするが)買うのが流行りとなる。J&Jやファイザーなどを代表に実は自社製品が少ないのだ。ちなみに日本では塩野義製薬は自社開発比率が高い会社なので成功するのかどうかは別として心意気は好きである。

ステファン・バンセル以下、役員のほとんどが自社株を売ったとの話はあるが、利益確定の為の売りならおかしな話ではない。当然全部売ったわけではないだろう。mRNAはいわば体内のソフトウエアのようなものであらゆる病気、あらゆる個体差においても自在に書き換えが可能、将来的にはその個人に最適な個人別の癌治療薬品の処方も可能にするのがゴールである。ここから一気に10年後の完成もあり得るのではないか。いずれにしても必要なのは研究者の情熱がどこまで保てるのか、世の中の役に立つ開発をするという情熱がどこまで途切れないかが重要だろう。まさにモデルナは未来を作っているのではないかとさえ思えてくる。投資先としては確実に遅く、投資家からすると全く魅力は無いのかも知れない。しかし素人目線が大化けする事もあり即ち遅くはないのかも知れない。だが今回のワクチンリスクが将来的に実は起こってしまい大きく会社が傾くこともゼロではないと頭に入れつつ投資するのは欲を捨てきった上で一考の価値はある。未来は誰にも解らないが夢はある。また同じような未来を変える発明を様々な企業が世界中で現在進行させているのも見逃せない。科学の世界は実に面白い。

ちなみにモデルナ社は過去一度も黒字化したことは無い。去年ですらそうである。それで19兆円もの資金調達をしているのだから凄いとしか言いようがない。恐ろしい世界だが未来は誰にも分らない。今後を見届けるのがとても興味深い。

 

おしまい