苺畑の午前五時に目を瞑れ

目が覚めたら9時半だった。休みだったので目覚ましをかけずに寝て13時半には京都のアップリンクに行かなければいけないので12時に三雲駅にいないといけない。まだ1時間は布団の中にいられる。こういう時間に最も幸福感を感じる。他に幸せを感じることないんかと思うがまあいいだろう。そうしているとお客様からLINEが入る。上司の狡猾なセクハラとパワハラなんとかなりませんかとの相談である。お客様の困り事はなんでも解決しなければならない。真摯に返信する。再び布団なのだが気が付けば11時。余裕のある日はありがたい。

そもそもアップリンク京都に行かなくてはいけない理由はこうである。前々日にある幼稚園の副園長さんから「今、夢見る小学校っていう映画やってんの知ってます?大原さん、これぜひ観て下さい」と言われスケジュールを確認すると9日水曜日を逃すと日が無い。いつ終わるかも知れないので9日しかないと。車でなくて電車で行くには理由がある。読んでレポート書かないといけない資料や本が溜まっているからだ。家で読めばいいだろ、というお声も聞かれるが家で読む気にならないので電車を使うことが多い。ちなみに3月入って映画は6本観ている。「さがす」2回、「355」、「余命10年」、「フレンチ・ディスパッチ」そして「夢見る小学校」である。2日に1本のペースだがこれは学習の為にも緊張を緩和する意味でも重要な意味があり、僕には捻出すべき必要な時間なのだ。

それはさておき「夢見る小学校」。これは貴重な体験だった。映画館にはひとりで観に来ている男性は私一人。子供と教育熱心なママたちに囲まれひとり観る。茂木健一郎と高橋源一郎はやっぱ駄目だなと思う反面、尾木ママは普段はむちゃくちゃ言うとるけど、こと教育に関しての発言はやはりさすがであった。そして堀 真一郎。このような現場主義の教育者がこの国にいたのだと、人間として凄いとしか言いようがないというか、今自分がやろうとしている事の小ささに愕然とする。これは契機となるだろう。これについてもいつか詳しく書きたい。

地元に帰ってくると昨日から洗濯機がぶっ壊れていたので人生初のコインランドリーで洗濯する。使い方が解らないがボタンを押すとガイダンスが流れる。その前にプリペードカードを買わなくてはいけない。3000円である。プリカ販売機は千円札のみだと書いてあるが2000円入れたところで千円札が尽きる。返却ボタンがなんと無い。なんてサービスの悪さなんだと言ってる暇もなく18時半から地域の未来を考える会議だ。お金を入れたまま隣のコンビニで飲まなくていいコーヒーを買って事無きを得る。プリカ残高2300円。洗濯問題も暫く解決しないだろうしまあいいだろう。会議まで会社に戻って少し資料の整理をする。

会議には宣伝も兼ねて5/29(日)に甲南町プララにて映画「いただきます2」の上映会と菌ちゃん先生こと吉田俊道さんの講演会のチラシを配ろうと主催者の渡辺さんの元にチラシを頂きに行く。これについても後日詳しく案内させていただきます。

懸念していた通り会議は始まるが内容ははっきり言ってグダグダでこれはないなと。組織を動かしていくのはこんなに難しいのになぜまだそこに気が付かない!と心の中で思うだけでなく、僕は嫌われようが実際に発しているのだがどうも理解されていない空気がある。次回呼ばれるかどうかが見ものである(笑)。前回もそうだったがよく今回もお呼びが掛かったものだ。しかし手を打たないと時間の浪費であるのは間違いがない。後日、別の参加者もそう言っていた。

何をするか?どうやってするか?なぜするのか?

例えば今度ね、水口の体育館跡、公民館跡にねコミュニティセンターを造るらしいんですよ。今月か来月かに地域説明会あるんだって。作ってどうすんだと思う訳ですよ。もう地域にはいっぱいあるから。でも、何か形を残すのが市役所の仕事とすれば職員はそこに疑問を感じながらでも割り切ってやっちゃうんですよ。いいかい?これ俺たちの税金だぜ!?30年前の議論をまだやってんのかよここは!?甲賀市はまだ昭和なの?

というふうに愚痴っぽくなりましたが、このような事をもっと生産性のいい事業に方向転換しないと甲賀市は終わりだなと思って夜と休日を使い問題提起しています。ぶっちゃけ、生産性が高い=魅力があるって事なのよ。魅力ない町に住みたくないでしょ。若い人たち。みんな出ていく訳さ。っていうか、誰かやれよ、なんで俺がやらなきゃならないのさ!?って思いたいのだがこれは違うと思う。ここに住むみんなでやらないと解決しないから。そこを、そう、「住民の意識を変えたい」というのがまずやるべき事なのかなと。自分の能力を考えるとめまいがしてきます。

ちなみに家に帰ると洗濯機は新しいのが導入されていた。2300円が消えた。さらに後日談としてセクハラ相談は逆切れされて怒られた(笑)。3月9日は実に自分らしい休日であった。

松村雄策氏が亡くなった。思えばYAHOOニュースに出るのも凄いがコメント欄もそれなりの数があった。これだけみんなに愛されていたのだなと少し見直した。人が死ぬって事はこういう事なのだ。死んだ後にどれだけ残してくれたかを知らされるというか。彼にはワンカップ大関の飲み方以外にも様々な事を教えてもらった。松村さんなくして今の僕はないかもしれない。僕は未だに全く書けていないが美しい文章とは松村さんの書く文章だ。そしてその死すら僕は自然に受け入れる。なぜなら松村さんはジム・モリソンと同じくエヴァーグリーンだから。

「水晶の船」を聞きながら午前五時の苺畑を歩こう。合掌。

 

 

おしまい