先日、当社のホームページをみていて「これはないわ」と思った箇所が2か所ある。制作会社には即時変更するよう指摘した。その1つが「代表からのごあいさつ」である。理由は「誰がこんな長文を読むんや!」というもので学生にアピールするならこんな文章では無理だ、時代と社会性を考えシンプルにしなければならないと思うが、世界観のギャップがあり過ぎてわしにはもうよう解らん、文章のコンセプトを再構築し俺に提案してくれ、書くのは自分で書くから、と。しかし個人的には削除するに惜しい文章なので最期にここに記録として掲載する。ご丁寧にも2部構成になっているが渾身の作なので仕方がない(笑)。
以上である。そしてこの文章がいかに駄目かを検証するために私の周りの有識者に読ん貰って意見を頂いた。これもメモとして残しておく。
・数学の歴史と苦闘な。例えばガロアなんか数学と関わったおかげで死んでるし、谷山・志村予想の谷山さんも命を落としている。数学問題を解き過ぎて廃人になった人も数えきれん。フェルマーを読めば理解できるがそうでなければさっぱり歴史の真の意味が解らんやろな。サピエンス全史は数学以外のあらゆる人間の苦闘の歴史が書かれているがこれも本を読まなければピンとこない。つまり本を読んでない人からすると全くピンとこない文章って事よ。文章を書きたいだけではあるまい。伝えたいのだろうが。
わたし → だから読め言うてんねん。大人は手遅れだから子供のうちにって。
・サピエンス全史は闘いの歴史ともいえる。相手は自然環境、災害、人間の限界点などと様々あるが実際に戦争が昔から絶えないのも事実だ。誰もそんなこと望んでないのにさ。一部の狂人がやってしまうんだな。それも人間だからこそなんだが。人間の生き方を問う、これはとても哲学的であり科学的でもあり、その答えを人生かけて探すっていうのは年寄りには解らんことないけど学生には絶対に無理だろう。さらに職場で探すって公私を分けてる人、仕事は仕事って割り切ってる人には全くの意味不明だろう。
わたし → そう、特に仕事に対して生活する手段としか思ってない人とは人生観や世界観の相違で同じ日本語で会話してても話が通じない。
・叱られ慣れてないのが問題であるが、叱られないように踏み込んで仕事をしない人ばかりの気がしてて。なのでそんな風土から凄い技術やコンテンツが生まれるはずもないから日本の将来はもう駄目なんだろうなと。つまり、わざと一生懸命に仕事しないのが基本となりつつあるのだ。
わたし → そういう奴は要らん。しかし採用できなくても会社は終わる。ハードル下げるって話か?それ以前に俺の思い込み過多か?
・死生観やな。この文章の最も取っつきにくいところは。
わたし → その通り。哲学は既に死んだが私はそれに憑りつかれているのだ。
以上、保管庫として記録。しかし記録したことにより私はより進化するだろう。
おしまい