「おい、元気か!?」って同級生にLINEしたら「何とか生きてる」と返ってきて。なぜ調子伺いをしたのかというと数か月前から様子がおかしいと感じていたからだ。まあ多分に更年期障害の一部なのかもしれないと思いながらはいる。「人生は楽しいよ~」と送れば「そうか?そんなことないけど」だって。こりゃ重症寸前だなと思っていたところに母校、水口高校からインターンシップのお願いというものが来た。これから将来の長い若い人たちに対し56歳のおっさんおばさんが路頭に迷いかけてる人が多いなんて洒落にもならないのでどうしたもんかなと思ってる。インターンシップに関して言えば当社の揺るぎない方針を実行するだけなのだがこの社会情勢というか「毎日が楽しくない症候群」がはびこる世の中に対し違和感を感じざるを得ない。
そんな時に、株式の記事を眺めていたところで南直哉(みなみじきさい)氏のインタビュー記事を見つけた注1。南さんはというと禅僧で「教養としての上級語彙」注2が予想外に売れている宮崎のてっちゃんとの対談なんかで知っていたお坊さんである。ある学校から中学生への為になる話をして欲しいという事で「夢なんか持たなくていい」をテーマに語った内容をインタビューで答えている。詳細は最後に記事を張り付けておくのでご興味のある方は読んでみて欲しい。個人的には手放しで賛同できないがインタビューの紙面の関係上割愛され簡素化しているのだろう、書籍でも読めばもっと丁寧に書かれていて僕が賛同できないといった点においても丁寧に解説を加えていると思われる。それだけ記事なんて脆弱なものだ。最低でも2万字は必要である。
さて、現実に戻ってみるとやはり心を壊している、壊しかけている人が多いのが現実だ。実際に僕の周りにも複数人いるし、いた。自分が原因の一端になっているケースもあるかも知れないとも思っている。と書いているところでこれ詳しく書くとあと2万字は必要だぞとよぎり雑に結論だけ書こう。
僕の人生の目的は「楽しく生きる事」である。その為には小さな目標設定がいくつもある(これは奇しくも大谷翔平の曼陀羅チャートと同じようなものである、)。「目的」と違って「目標」とは例えば何年までに子ども食堂を作る、その為には何年までに資産をこれだけにしておかなくてはいけない、その為には仕事でこれだけのことを何年までに成し遂げねばならないとかだ。子ども食堂を作って地域の必要としている人達の喜ぶ顔を見ると楽しい、即ち「楽しく生きる」という「目的」を満たすという具合である(子ども食堂を作る気はないが例えばの話である)。
個人的には知性が無いと視野が狭くなるので勉強は死ぬまで必要だと思っていて何故なら「視野が広い方が楽しい」と認識しているからだ。とはいえ、認識といっても脳がそう思い込んでいる(思い込ませている)だけで脳なんかただのタンパク質と電気信号であるから適当に使えばいいだろって思ってる。その為には「目的」と「目標」はあった方が良い。視野が狭くても楽しいんだが思ったより死ぬまでは長いんでそのうち飽きるんだ。
「人生は適当にして楽しければいいんだ」。また「楽しくなくてもいいんだ」。どうかね?同級生のおっさんとおばさん達よ。
良いことも悪い事も繰り返すもんだ。
おしまい
注1 ・・・ 「夢なんかなくていい」中学生に諭した禅僧の真意、そもそも「実現したい自分」は、じつは非常にあいまい(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース
注2 ・・・ 教養としての上級語彙:知的人生の為の500語 宮崎哲弥著(新潮選書)2022/11/24 1,650円。確か10刷くらいになっていたはず。この価格でこの内容で10刷は異例だ。自分はこれを買おうか「成瀬は天下を取りにいく」を買おうか迷って後者をとった理由はこれだ。「私は知的でなくていい!!」である。