日本のベッドの数からみる異常事態

大阪の病床数は約90000です。その内コロナ関連病床数は1300で全体の1.4%です。その内の重篤患者に割り振られた病床数は200。これはもうあまりにも少ないのではないかと私など素人は思いますが、これは裏にコロナ患者に病床数を振れば病院の経営が成り立たなくなるという背景があります。経営者なら風評被害も考えないといけないし、働いてもらっている従業員(医師や看護師など)の家族への感染リスク、それに対する当人の精神的負担を考えなければいけないし、そう簡単に増やせないのは分かります。さらにフロアを隔離しなければいけないのでそれだけでも施設の容量と人材不足も大きな壁となっています。公立病院なら行政の指導で強制出来そうですが、民間の病院となると自由経済なので別問題です。という問題があります。

解決策は補助金を投入して病院の収益と個人の報酬の確保、また現在資格を持ってはいるけど携わってはいない看護師OBの一時的なスカウトが急務ではないでしょうか。ともかく行政側は報告ではなく直に現場を見に行って欲しいと思います。そうでなければ問題点はぼやけます。

ところが、政府に聞くと各行政にはたんまり予算渡してるんだけどねぇ、との返答です。これは一理あってそもそもここの権限は知事にあります。という事は知事の政策が悪いのかと、実は良く解りません。こちらからみると責任のなすりつけ合いにしか見えないのでみっともないのですが、改善される気配がない。

臨機応変さがない。これ日本人の悪癖ともいえるけど、状況は刻一刻と変化していくのだからその場その場で手を打てないものかと思います。これも縦割りの弊害であり何年たっても変わらないこの国の政治手法の問題点と言わざるを得ません。

現在、日本の感染者状況は世界的に見れば諸外国に比べ約50分の1に過ぎません。一日当たりの死者数も2桁少ないのです。しかし諸外国では未だ重篤患者用病床数がパンクしたという話は聞きません。一方、人口1000人当たりの病床数は日本は圧倒的世界一であり、人工呼吸器の数も人口当たり世界一です。それであるに関わらず重篤患者用病床数の飽和状況は限界に近づいています。非常にちぐはぐな結果となっています。先ほど述べたような問題はあるけれど日本医師会はまず、GOTO中止を訴えるより先に重篤患者用病床数を増やすよう政府に働きかけるのが先決だと思います。GOTO中止による自殺者の数の方が多いと計算できるからです(ただし中止は1月11日までなので踏ん張っていただきたい)。

最期に韓国がPCR検査を徹底的にやったから感染を防げたから韓国を真似るべきだという報道が夏頃出回っていましたが、現在韓国は感染爆発中です。正しいのは自己管理と自己免疫の強化なのでみなさん、寒い冬に負けないよう頑張りましょう。

 

おしまい

僕はこう考える教育論その3

ここ何年も読んでいないが音楽雑誌「ロッキング・オン」は高校以来最もよく読んだ雑誌の一つである。「ロッキング・オン」は洋楽専門雑誌である。当時ネットも無かったので海外アーティストのコアな情報はここにしかなかったと言っていい。僕が考える邦楽と洋楽との違いで最も大きかったのは言葉をメロディーやリズムに乗せた時の美しさとかカッコよさ、歌詞の内容には雲泥の差があった。もう邦楽なんか幼稚すぎて聞いてられない程だった。現在ではそんな違いは全くない程、邦楽は進化し洋楽は陳腐になった。それはともかく双方に最も違和感を感じたのが音楽性ではなくインタビューの中身であったのだ。

とにかく文字数が多い。例を挙げると「今回~なのは~だったからなんだ。というのも~ということに導かれたと言っていい。しかも~は~も兼ねていた。何故なら当時の僕たちは~だったからね。そのような結果として~を手に入れたと言えるかもね。例えば~」みたいな洋楽アーティストのインタビューの答えはとにかく長くて論理的だった。ジミーペイジ、デヴィッド・ボウイ、トム・ヨークしかり、あのリアム・ギャラガーですらだ。日本のアーティストはもっと淡白で自己分析が出来ていない人が多かった気がする。向こうの音楽は論理的であった。洋楽のロックはラジカリズムと切り離せなかったのである。時に哲学者のようであった。

その原因がこの歳になってやっと解ったのである。問題はイギリスの幼少期の教育にある。例えば数学で例を示すと日本では数学のテストはA3の紙1枚にいくつか問題があって回答記入欄に答えを書くか4つのうちから選択するのが一般的だと思う。イギリスでは白紙の紙を問題数ごとに何枚か渡されそれに解き方を書いていき、そのプロセス(頭の中の考え方を図式化したもの)と答え両方で採点される方式である。つまり答えが合っていてもプロセスで理にかなっていなかったり、ミスがあると減点されるので100点は取りにくい。つまり考える力を養うことに重点が置かれている。論理的思考を身に着けるために教育があるという考え方だ。この為にあのリアム・ギャラガーですら論理的だったのだ。一方で日本はプロセスは過去問の暗記でよくて、そこは問われず最終解答だけが問われる。ただし、解き方を暗記しているので解答までが圧倒的に早いという利点がある。

しかし社会に出れば暗記が役に立つ頻度と思考が役に立つ頻度を考えればどうだろうか。争いが無くなる社会にするためにはどうするか等、世の中には最終解答がない問題ばかりといっていい。このような課題に直面した時、暗記教育はフリーズしがちです。とはいっても戦争をなくすというのは論理的に考えても難しいんですけどね。つまり日本の教育はテストで高得点を取るために存在しているといっていい。大学入試の為と置き換えても良く、韓国もそれに近いですね。しかしそれって教育の本質から逸れてるような気もします。柔軟な考え方が苦手な原因がここにあるのではないだろうか。

とはいえ、欧米も暗記教育をもっと増やしてもいいと思います。早いですから。日本は論理的思考を増やした方がいい。うつ病が増えてる原因はここにあるかも知れないと個人的には思っています。繊細な問題なので誰も言わないですが何十年後かにそんな論文がでて証明されるんじゃないかとも思っています。欧米式と日本式を足して2で割るくらいでいいんじゃないかと僕は思いますけどね。小さいお子さんをお持ちのご家庭にはぜひ「非認知能力」を育てるという観点で接してあげて欲しいなと思いますね。決められた常識なんてもっと疑っていいのだ。非認知能力!?それはまた今後書きたいと思います。

 

 

おしまい

補足・・・でも日本の数学のレベルはめちゃくちゃ高いです。

大阪都構想・反対意見をぶった斬り

大阪都構想否決について書き残しておきます。

ただしここでいう「公務員」とは当店のお客様で公務員の方のことでは断じてないことだけ最初に申しておきますのでご了解下さい。滋賀で働く公務員の方には20000%関係のない話です。ちなみに僕は大阪の公務員事情はちょっと詳しいですよ(笑)。

そもそも大阪維新の会は規制や既得権を破壊するために出来た集団です。この場合、それは主に府市の公務員と世襲制議員とそれにつながる公務員と土木工事企業などの利権団体でした。これらを破壊するために出来た党なんです。ここまで言い切ってしまう論説は身が危険なので無かったと思いますがもう終わってしまったのでいいでしょう(笑)。

もちろんこれは序章にすぎず、大阪でそれがなされたら日本全体に波及し道州制へと進み、地方分権に制度転換させてゆくというのが故堺屋太一さんの目論見でした。これは明治維新と同じくらいの凄い可能性と危険性をはらんでいてここは議論が必要です。簡単なところでいうと消費税も地方税となり責任は莫大に増えますが自由度も増え地方再生の切り札となるはずでした。そうですよね、松井さん。僕も道州制しかこの国に未来はないと思ってましたので残念極まりないです。もちろんトップがアホだと地方は即死するという事は考えておかねばなりませんが東京都は現に死んでいないことを考えると大丈夫だという気がします。またトップがアホだと選挙で落とせばいいのでより民主的です。

話を元に戻しますと先ほど述べた利権団体および個人は様々なレベルで損をする事になりますのでいろんないちゃもんをつけて反対したというレベルの話です。いちゃもんと言ったのは根拠のないデタラメばかりだったからです。ここまで言い切る説もそうありませんが事実なので仕方ありません(笑)。

特に毎日新聞のコスト増ネタは悪質な世論誘導でした。公務員なら誰でも解るレベルの誤報でした(巧妙に細工されていましたが)。一部の吉本の芸人の発信もスレスレの世論誘導と言わざるを得なくて見ていて「なりふり構いよらんな」とびっくりしたレベルです。ま、芸人は利用されてるだけですが。選挙の終盤の切り札として反対派が最初から用意していたものでしょうね。反対派の頭脳戦の勝利です。

とにかく維新VS大阪市公務員の戦いは幕を下ろし、疲れ切った将は引退となります。大阪市の公務員の力は凄いとしかいいようがない結果となり、なんか煮え切らない感じで終わりました。これにめげず吉村知事よりもっと下の世代がもう一度チャレンジしていただきたいと思います。それほど大阪の地方議員は任せておけないカスです(言葉を選び抜きました)。彼らの報酬は他の地方議員の追随を許さないほど高く、人数は多く、仕事はしていません。

もう一個。絶対的真実を最後に述べますと行政サービスの向上や低下は景気に左右され、行政の量や質では左右されません。経営者の人なら解り易いかと思うのですがそういう説明は今回なかったのかなと。ちょっと戦略的に疑問が残る選挙戦でしたね。吉村さんを要していながら尚更残念なポイントです。コロナと重なったことは運が悪かったですね。それもこれもそういう流れだったのでしょう。

この解説、日本で一番わかりやすい解説かと。短いのでWIFI無くとも見て下さいね(笑)。

おしまい

 

 

僕はこう考える教育論その2

 え~、いつも文章が長いと読む気がしないという声をたくさん頂いていることを思い出し短く行こうとは思います。

 数学といえば例えば微分積分など社会人になって使う事もないし3桁の掛け算を暗算で出来る人も正確で速いからという理由でスマホの電卓を使ってます。これって学校教育が役に立っていないじゃないかと思ってしまいますよね。でもそういう事ではないんです。整理します。

科目別  学習することの目的(意義)→ 理想と現実との相違

数学・・・物事を論理的に組み立て考える力を養う為。→ 公式を暗記しただけで応用力は身に付いていない。

国語・・・言葉の持つ表現力を駆使して相手に最高の形で伝えられるようにする為。→ 漢字や熟語をいくら覚えても豊かな表現力で使用できていない。

社会・・・過去に起こった事例をその背景と思惑を考察し将来に生かす為。間違えない為。→ 年表を覚えただけでは今後の人生の何の役にも立たない。

理科・・・実際に目の前で起こっている真実を突き止める為。→ 真理の探究を考えないと見えている事だけで判断してしまう。 

体育・・・この動きをしようと思えばこれが必要だという理屈を脳で思考する為。→ 健康管理ははたして十分なのだろうか。

道徳・・・人の幸せの本質について考える為。→ そもそも教科書の中身が正しいかすら解らない。

音楽・・・あらゆるイメージを膨らませる為。自由な表現と自己主張を学ぶ為。→ 音符が解っても実生活に役に立っていますか?

各科目の目的・意義のその先に何があるのかは解らない。しかし考えようとしなければその先は見えもしないだろう(しかし音楽は突き詰めたらMISIAになるに違いない笑)。

 自分でもそうですが社会人になっても人にモノを伝えることが下手だったり、真実を一発で理解できなかったり、こうなればまずいという状況でも打開策を打ち出せなかったり、とにかく残念な大人が多いことを感じます(出来ない言い訳だけは達者になるんですが)。言われたことは出来るがそれ以上のことは出来ない、思いつきもしない。思考停止の受け身でそういう人がもっと増える気がしていてかなりの危険を感じています。電化製品と同じ末路をIT産業も基幹産業と言われる自動車、製造業も悲惨な末路を辿るのはもはや必然の流れです。その根幹はこの国の受験制度に最大の問題があると言わざるを得ません。

 さらに勉強はいい大学に入るのが目的じゃなくて思考力や脳を鍛えるために勉強が必要でそれに対応した試験制度を導入すべきです。前にも書きましたがそれを実践している大学はもうすでにありますので、そういう大学を調べてわざわざ進学し、4年か6年か解りませんけれどもさらに専門知識と脳を鍛えて社会に役立つ人として巣立って頂きたい。偉そうに僕に言われずともそういうふうに考え進学している子供たちも徐々に増えてきているのも事実ですが、まだまだ少ないです。

 とはいえ勉強は楽しかったらいいのですがそうでなかった時に苦痛ではないでしょうか。そこで最も大事なのは継続する力。その1で触れた「根性論」にも繋がってきます。そもそもダイエットをすると決めたとして5Kg痩せるのが目的なのか5Kg痩せた体重を維持するのが目的なのかで手法もメンタルも違います。また物事の考え方に圧倒的な差があります。マイナス5Kgを維持しようとすれば、痩せるメニュー以上に「継続的に続けなくてはいけない自分ルールを守る必要」があります。これは好きな事なら問題ないんですが嫌いだったら苦行です。その1で述べたストレスを友とする方法で乗り切るのがベストですが、それでも苦痛な時は死んでも続けてやるという意思、気合、根性で乗り切る以外ありません。ということでスポーツ界で忌み嫌われている根性論、普通に必要です。そしてそれが出来ない大人は弱いです。鬱の増加はストレスの量ではなくてストレスを糧に出来ない人の量の増加です。

 だからこそ僕は小学校の時に強さを身に付けて中学高校に進んで欲しい、それだけが望みです。続きは教育論その3で。

 

おしまい

僕はこう考える教育論その1

 お客さんや友人のお子さんで心を病んでしまったり、その結果不登校になったり、休養を取らざるを得なくなったりとかというのをちょくちょく耳にします。僕らの小さい時と比べてやはり増えていて良くない傾向です。その原因とされているのがストレスであろうかと思います。そして編み出された(?)のが「褒めて伸ばす!」という手法。しかし海外の論文で驚くべき研究をした学者さんがいました。

 それは学力が平均的でほぼ成績が同等の子供たちをAグループとBグループに分けてAはとにかく褒めて伸ばすを徹底、Bにはストレスを掛け続けるスパルタ教育を施しました。そして試験をした結果、Aは大部分が平均点のちょっと上に位置しましたが、Bは超上と超下に2分化するという結果が出たんだといいます。Aはまあいいのかとも思いますがBには圧倒的な格差が生じて格差社会が問題視されている昨今、いい結果とは言えません(ちなみにAグループからは一番上のスーパーゾーンに達する子は一人もいませんでした)。そして学力だけでなくスポーツや音楽に対しても同様の実験が行われましたが結果はどのジャンルも同じような結果だというのには驚きです。

 そこでBについてなぜ格差が生まれるのかと詳しく解析されました。その結果ストレスに耐え切れなくて駄目になってしまった子達が下層部、上層部はストレスとうまく付き合った結果だという事が解ったのだそうです。なんでここまで無茶苦茶されるんだろう、なんでこんなに罵られなくちゃいけないんだとか思うけれども、これは自分にとって必要なストレスであり試練なんだと、これを乗り越えてこそ結果が出るんだから仕方がないと割り切って頑張った、このハードルを越えれば新しい世界が見えるだろうからこんなことでは屈してたまるか、という風にストレスを自分の成長の糧にした子と、出来なかった子の違いだそうです。

 僕たちはストレスは悪いものだと思い込んで来ましたし、社会でもそういう風に教育されています。自分もそういう風に考え教えて来たかも知れません。しかし人類といわず生物全てが地球上のあらゆる自然的ストレス、死ぬほどの暑い寒いあらゆる災害に耐え抜く為に変化・変態してきたものだと思うと進化論上ストレスこそ必要だったのだとすら思えます。ストレスは悪いもんじゃない。自分が壊れない程度のストレスはむしろ良いものだという認識、自分の成長にとって必要なものなんだと「脳で考えること」こそが重要だったのです。ストレスこそ友であると。

 そう考えればストレスとうまく付き合うというのは例えば社会人であったら飲みに行って会社や上司の愚痴を言い合ったり、休みの日に趣味に没頭したり、ゆったりとした自分だけの時間を作ったりというのは実はごまかしているだけではないだろうかと思えてきます。まやかしの世界に浸っているだけじゃないか。うまく付き合うということはストレスと向き合って自分を進化させること、自分にとってストレスこそが頑張れる元、エネルギーだと思い込む。脳でそのように考えること、それこそがストレスをコントロールする本当の意味ではないだろうかというふうに。つまりですね、日本では危険なワードとして忌み嫌われている「根性論」、これもあながち否定されるもんじゃないという事が言えます。非常に危険な話になってきそうな続きは教育論その2で(笑)。

 

おしまい