その3の前にFI終了について徒然草

このコーナーでは自分の得た情報や予測の保管庫としても使っているつもりですが最近小難しい事に偏ってるなと思わなくもありません。前々回、教育論その1では「ストレスは自分にとっていいものだと考える人と、悪いものだと考える人との、脳の使い方の違いで差が生じる」ということを書き、前回その2では「科目ごとの勉強の意義はこうで、勉強は試験に合格する為のものではない」と書きました。ではその3はという前にホンダのF1撤退について書きたいと思います。

撤退発表のあった記事では殆どのコメントが批判的なものでした。最近では撤退そのものについて深堀りした記事が多く、それらのコメントはF1そのものについて批判的なコメントが多く、ホンダに対しては同情的で理解を得られたものが多かった気がします。ホンダは撤退ではなく終了と言っていて今後新たに参戦することはないだろうと予測されます。ひとつはここでいくら勝ってもヨーロッパ市場でホンダのシェアが増えることが無いという悲しい現実、もうひとつは電動化を目指す上でF1の技術が新製品に生かされることもないだろうという事に尽きると考えます。前回の参戦でも市販車に技術転用された覚えはないのですがこれは僕の勉強不足とも思われます。

だったら参戦自体を決定したこと自体が経営判断として甘いのではと思いますが、前社長が決定したことなので現社長は修正という実にいい仕事をしたとも言えます。フォーミュラEに参戦しなおすという手もありそうですが得るものを考えれば無いでしょうね。

つまりホンダ撤退というのはF1の存在意義に一石を投じたという事が言え、もう少し上手く少し露骨に記者会見で言えば良かったのになぁとも思います。あくまで批判的な意見はそのような背景には興味が無く、特にF1好き、ホンダファンからは不評を買ったのでその点をいかに修復していくのかという課題が残ります。しかし結論としてはいい車を提供し続ける事しかないという1点に尽きますがね。F1撤退と聞いてああそうなのという人が圧倒的なのも事実です。実際、騒いでいるのはオッサンばかりなので影響はないと思えます。即ち、終了。

アウタファウリやレッドブルには道義上、申し訳ないのは山々ですがドライなのは欧米文化そのものなので文句も言えないだろうなと思いますが、そのへんを記者会見でうまくやればという気もしますが確かに難しいスピーチでしたね。F1の終わりの始まりという話でしたし、すべての終わりはすべての始まりでしかないということで頑張って参りたいと思う次第です。僕が車を設計する訳じゃないですがね。

 

 

おしまい

僕はこう考える教育論その2

 え~、いつも文章が長いと読む気がしないという声をたくさん頂いていることを思い出し短く行こうとは思います。

 数学といえば例えば微分積分など社会人になって使う事もないし3桁の掛け算を暗算で出来る人も正確で速いからという理由でスマホの電卓を使ってます。これって学校教育が役に立っていないじゃないかと思ってしまいますよね。でもそういう事ではないんです。整理します。

科目別  学習することの目的(意義)→ 理想と現実との相違

数学・・・物事を論理的に組み立て考える力を養う為。→ 公式を暗記しただけで応用力は身に付いていない。

国語・・・言葉の持つ表現力を駆使して相手に最高の形で伝えられるようにする為。→ 漢字や熟語をいくら覚えても豊かな表現力で使用できていない。

社会・・・過去に起こった事例をその背景と思惑を考察し将来に生かす為。間違えない為。→ 年表を覚えただけでは今後の人生の何の役にも立たない。

理科・・・実際に目の前で起こっている真実を突き止める為。→ 真理の探究を考えないと見えている事だけで判断してしまう。 

体育・・・この動きをしようと思えばこれが必要だという理屈を脳で思考する為。→ 健康管理ははたして十分なのだろうか。

道徳・・・人の幸せの本質について考える為。→ そもそも教科書の中身が正しいかすら解らない。

音楽・・・あらゆるイメージを膨らませる為。自由な表現と自己主張を学ぶ為。→ 音符が解っても実生活に役に立っていますか?

各科目の目的・意義のその先に何があるのかは解らない。しかし考えようとしなければその先は見えもしないだろう(しかし音楽は突き詰めたらMISIAになるに違いない笑)。

 自分でもそうですが社会人になっても人にモノを伝えることが下手だったり、真実を一発で理解できなかったり、こうなればまずいという状況でも打開策を打ち出せなかったり、とにかく残念な大人が多いことを感じます(出来ない言い訳だけは達者になるんですが)。言われたことは出来るがそれ以上のことは出来ない、思いつきもしない。思考停止の受け身でそういう人がもっと増える気がしていてかなりの危険を感じています。電化製品と同じ末路をIT産業も基幹産業と言われる自動車、製造業も悲惨な末路を辿るのはもはや必然の流れです。その根幹はこの国の受験制度に最大の問題があると言わざるを得ません。

 さらに勉強はいい大学に入るのが目的じゃなくて思考力や脳を鍛えるために勉強が必要でそれに対応した試験制度を導入すべきです。前にも書きましたがそれを実践している大学はもうすでにありますので、そういう大学を調べてわざわざ進学し、4年か6年か解りませんけれどもさらに専門知識と脳を鍛えて社会に役立つ人として巣立って頂きたい。偉そうに僕に言われずともそういうふうに考え進学している子供たちも徐々に増えてきているのも事実ですが、まだまだ少ないです。

 とはいえ勉強は楽しかったらいいのですがそうでなかった時に苦痛ではないでしょうか。そこで最も大事なのは継続する力。その1で触れた「根性論」にも繋がってきます。そもそもダイエットをすると決めたとして5Kg痩せるのが目的なのか5Kg痩せた体重を維持するのが目的なのかで手法もメンタルも違います。また物事の考え方に圧倒的な差があります。マイナス5Kgを維持しようとすれば、痩せるメニュー以上に「継続的に続けなくてはいけない自分ルールを守る必要」があります。これは好きな事なら問題ないんですが嫌いだったら苦行です。その1で述べたストレスを友とする方法で乗り切るのがベストですが、それでも苦痛な時は死んでも続けてやるという意思、気合、根性で乗り切る以外ありません。ということでスポーツ界で忌み嫌われている根性論、普通に必要です。そしてそれが出来ない大人は弱いです。鬱の増加はストレスの量ではなくてストレスを糧に出来ない人の量の増加です。

 だからこそ僕は小学校の時に強さを身に付けて中学高校に進んで欲しい、それだけが望みです。続きは教育論その3で。

 

おしまい

僕はこう考える教育論その1

 お客さんや友人のお子さんで心を病んでしまったり、その結果不登校になったり、休養を取らざるを得なくなったりとかというのをちょくちょく耳にします。僕らの小さい時と比べてやはり増えていて良くない傾向です。その原因とされているのがストレスであろうかと思います。そして編み出された(?)のが「褒めて伸ばす!」という手法。しかし海外の論文で驚くべき研究をした学者さんがいました。

 それは学力が平均的でほぼ成績が同等の子供たちをAグループとBグループに分けてAはとにかく褒めて伸ばすを徹底、Bにはストレスを掛け続けるスパルタ教育を施しました。そして試験をした結果、Aは大部分が平均点のちょっと上に位置しましたが、Bは超上と超下に2分化するという結果が出たんだといいます。Aはまあいいのかとも思いますがBには圧倒的な格差が生じて格差社会が問題視されている昨今、いい結果とは言えません(ちなみにAグループからは一番上のスーパーゾーンに達する子は一人もいませんでした)。そして学力だけでなくスポーツや音楽に対しても同様の実験が行われましたが結果はどのジャンルも同じような結果だというのには驚きです。

 そこでBについてなぜ格差が生まれるのかと詳しく解析されました。その結果ストレスに耐え切れなくて駄目になってしまった子達が下層部、上層部はストレスとうまく付き合った結果だという事が解ったのだそうです。なんでここまで無茶苦茶されるんだろう、なんでこんなに罵られなくちゃいけないんだとか思うけれども、これは自分にとって必要なストレスであり試練なんだと、これを乗り越えてこそ結果が出るんだから仕方がないと割り切って頑張った、このハードルを越えれば新しい世界が見えるだろうからこんなことでは屈してたまるか、という風にストレスを自分の成長の糧にした子と、出来なかった子の違いだそうです。

 僕たちはストレスは悪いものだと思い込んで来ましたし、社会でもそういう風に教育されています。自分もそういう風に考え教えて来たかも知れません。しかし人類といわず生物全てが地球上のあらゆる自然的ストレス、死ぬほどの暑い寒いあらゆる災害に耐え抜く為に変化・変態してきたものだと思うと進化論上ストレスこそ必要だったのだとすら思えます。ストレスは悪いもんじゃない。自分が壊れない程度のストレスはむしろ良いものだという認識、自分の成長にとって必要なものなんだと「脳で考えること」こそが重要だったのです。ストレスこそ友であると。

 そう考えればストレスとうまく付き合うというのは例えば社会人であったら飲みに行って会社や上司の愚痴を言い合ったり、休みの日に趣味に没頭したり、ゆったりとした自分だけの時間を作ったりというのは実はごまかしているだけではないだろうかと思えてきます。まやかしの世界に浸っているだけじゃないか。うまく付き合うということはストレスと向き合って自分を進化させること、自分にとってストレスこそが頑張れる元、エネルギーだと思い込む。脳でそのように考えること、それこそがストレスをコントロールする本当の意味ではないだろうかというふうに。つまりですね、日本では危険なワードとして忌み嫌われている「根性論」、これもあながち否定されるもんじゃないという事が言えます。非常に危険な話になってきそうな続きは教育論その2で(笑)。

 

おしまい

 

 

菅義偉という男

昨日ラジオで某司会者が言ってました。菅総理って法政大学で空手やってたんですって。大学で空手を4年間続けるってことは普通の神経の持ち主ではありませんと。なぜなら今はパワハラ・モラハラという言葉で抑止力が働きますが当時はそんなもん無かったですから。その代わり「シゴキ!!!」という言葉はありました(笑)。そんな中で大学まで未経験者、かつ遊びたいど真ん中に4年続けるという立派な精神構造は少なくとも僕にはありません。ちなみにそのラジオ番組のディレクターは法政大学空手部の菅さんの1年後輩でつら過ぎて辞めたいと菅先輩に悩みを打ち明けたそうです。そうすると後輩思いの菅さんは厳しくとも辞めない方がいいよと徹夜で説得してくれたといいます。優しい先輩ですね。

安倍総理は実は優しかったんです。優しいからこそいろんな改革が出来なかったという側面があります。「それは無理です」「そうか~、じゃあしょうがないよね」というように利権を失いたくない政治家や既得権益者(大企業経営者、業界団体、官僚など)に強固に反対されたら今回は仕方ないね、時期尚早だったねと折れていました。しかし菅さんは違います。良かれと思ったことやここはおかしいと思ったことはどんな反対意見があろうとも実行してきました。曲がったことが大嫌いな空手部ですから(笑)。それと努力しない人間にも冷たいでしょうから弱者救済施策は嫌うことでしょう。自助、共助、公助って最初に言っちゃいましたからね(僕は昔から言ってますが!!!)。

庶民を知っている上で空手部。既得権益の破壊こそ我が人生の最終目的って感じですからお坊ちゃま育ちの安倍さんとは真逆です。だからこそ長く出来たというのも安倍政権の特徴ですが菅さんは敵が増えて短命だろうが承知の上。仕事が出来なければ死んだ方がマシ。言っておきます。この内閣はちょっと色が違います。短命かどうかは神のみぞ知るですがこのような内閣を期待していました。思い通りの仕事が出来るかどうかは別の問題をクリアしないとですが、河野太郎がこのあとを継ぐようならあるいは・・・。

ちなみに前述の番組ディレクターは菅先輩の説得の甲斐なく退部したそうです。退部してなければ総理の後輩を堂々と名乗れてたのに、残念ですね~(笑)。

 

 

おしまい

石破茂にみる本当のさらに向こう側!?

 終わったから言うのではないが。いろいろありましたが菅官房長官が総理大臣になりました。河野太郎氏をそこに抜擢するという事でそこに対する強い意志が感じられます。簡単に言うとそことは古い仕組みとそれにぶら下がる利権の破壊ということで第一次安倍政権が短命だったように後ろから刺されるという危惧がある。その重要ポストに菅さんと同じ実務家を持ってくるとはなかなか強烈な人選ですが一方で敵への対策も立てないといけない苦しい心情をお察し致します。もうひとつ、デジタル庁なんか必要あるのかと言っているようなTVでの評論家や記者やコメンテーターの発言はど素人もいいとこ。これはサイバーセキュリティーの話です、本当は。つまり国を守る大問題です。コロナでも懲りてないんか。記者も含めもっと勉強しろよと、恥ずかしくないんかと思います。まあ原稿読まされてるだけなら悪いのはTVや新聞だが、だとするとそんな仕事を断る勇気もあっていい。だが実際解っている人は極わずかである。

 勉強しろよというと総裁選前のある番組で石破茂が「石破さんのマクロ経済政策は?」という司会者の質問に対し、グローバル経済脱却と東京一極集中是正と答えたのにはかなりびっくりした。これはかなりいい内容の質問だ。一見まともそうに思えるかもしれないが質問に対して何の関連性もない回答を答えているということからまず、日本語が理解できないかマクロ経済政策を理解していないということがバレた。

 マクロ経済政策は金融政策と財政政策しかなくアベノミクスでいうと1本目と2本目の矢です。これに失業率を関係させて行うのが世界の常識となっています。これは僕の個人的見解ではなく世界の常識です。ノーベル経済学者をはじめ世界で注目される大学者の全てが否定できない現実です。石破氏だけでなく歴代の総理大臣でもマクロ経済学を理解していた政治家は全くいなくて安倍前総理はそれを理解していた極めて稀な総理大臣でした。それだけ日本の経済学は変です。ちなみにグローバル経済の脱却と東京一極集中是正はミクロ経済学ですよ、わかりましたか石破君(さらにちなみに言えばミクロ経済学は3本目の矢である)。

 というよりここまで物を知らない人物に総理大臣なんてさせていいのかと、このような凡庸な人材しかいないのかと、この国の将来を考えると腹が立ってきた。地方で人気があるという作られた嘘も実はバレた。国会議員に人気が無いというのは「人を動かせない」という事実であり、前からこんなにも無茶苦茶言ってる人がなぜか国民には人気があると言われてきたのか解らなかったが、メディアによる情報操作だったんだと結論づけていい。その通りになっていれば旧民主党政権時代に逆戻りで国がボロボロになっていた可能性が高い。つまりメディアの目的は政権の監視役などではなく国の破壊であるといっていい。後ろに何がいるのかだ。ちなみに政治家はみな一回は起業して「人の動かし方」を学んでから出直して欲しい。そうすれば国民の痛みも解り、さらに世の中の仕組みも解って良いというものだ。

 それにしてもとワイは思う、石破君。あんたの記事も含めネットのニュースはコメント欄があるわな。それらを最近見て思うのはみんな記事を鵜呑みにしてへんっちゅうこっちゃ。その記事から読み取れる、元ネタの出どころや取材方法、記者の意図するところまでもう見透かしてんねん。もうメディアには騙されへんぞって意思が次々と湧き出しとる。ここを見ている奴らはええ眼持っとる。時間はかかったが国民の民度はここだけをみれば上がっとる注1。もうオールドメディアは敗北したんや。それを見たらあんたに関するコメント欄はほぼ100%否定的や。そんな奴が総理を目指すとは笑えん冗談のつもりか。無能な政治家ほど税金を払いたないもんはないで。

 石破茂の仕事は終焉した。政策に明るいと言われていたが実は疎く、ただの軍事オタクが偉そうにと昔から自衛官からも嫌われ、馬脚を晒したことでメディアに捨てられざるを得ない。無能なものは去れだ。さて次に担ぎ出されるかわいそうで悲惨な人物はいったい誰なのだろうか?というところまで理解していただきたいものである。

 それと同時に権力や欲や成功はある時期までは生きる活力になるが、ある時期を過ぎると人を乗っ取りに来る。そして新しい力や成功を求めてくる。それにがんじがらめにさせられ、自由に動けなくなる。政治家はそこに付け込もうという輩が周りにウジャウジャいる、石破茂が利用されたのもそういう事で、普段から何言ってるか解らないが、自分で自分の存在すら解らなくなっていたのだろうというところも理解していただきたいものである。そんな生き方は、嫌だな。

 

 

おしまい

 

注1・・・政治関係のニュースコメント欄は相当レベルが高くなってきた。全部ではないが結構本質を突いている。それだけ成熟したのだ。ここ10年の進歩は大きいがまだ道半ばで半分にも達していない。だが事件、社会性に関してはまだまだおかしい意見がいっぱいあるように僕には見える。