若いころの私が影響を受けたといえばジム・モリソン、花の慶次、蒼天の拳他とろくでもないものばかりよく集めたなという中で「燃えよ剣」土方歳三もそうである。20代前半に上司から読めと言われて強制的に読まされたのが司馬遼太郎の「燃えよ剣」。それまで本は漫画以外は殆ど読んだことは無かったのにこれは読めた。何より面白く「新撰組血風録」も自ら読んだ。当時、武田鉄矢の影響だろうか僕たち世代間では司馬先生の「竜馬がゆく」や小山ゆう先生の「おーい!竜馬」を読むことが流行っていたように思う。だが僕は今でも読んでいない。おそらくこの頃に無意識に付いた敵対意識がそうさせるのだろう(笑)。今夏、その「燃えよ剣」が岡田准一を主演に公開される。コロナを別にして傑作と言えるこの原作が映画として無事に出来上がるのか心配だが、「燃えよ剣」はその後自身に大きな影響を与えることになる。つまり上司は良い手を打ったのだ。
ちなみに「燃えよ剣」は土方歳三を主人公にした小説である。新撰組を立ち上げ五稜郭で闘死するまでを描いたものだ。見どころはいくつもあるが最も興味深く読んだのが新撰組の法、局中法度書。岡田主演の土方歳三が独自に考えた鉄の掟。5条からなる。
一 士道に背くまじきこと 二 局を脱することを許さず 三 勝手に金策すべからず 四 勝手に訴訟取扱うべからず 五 私の死闘をゆるさず 幾夜を徹して削りに削ってこの五か条。それぞれに細則がある。
そのなかに妙な一文がある。これこそ新撰組隊士に筋金を入れるものだ、と歳三は信じた。とある。「もし隊士が、公務によらずして町で隊外の者と争い」というものである。沖田総司との会話にて。
「敵と刃を交わし、敵を傷つけ、しかも仕留め切らずに逃した場合」「その場合どうなります」「切腹」と歳三は言った。沖田は笑った。「それは酷だ。すでに敵を傷つけただけでも手柄じゃないですか。逃すこともあるでしょう。逃しちゃ切腹というのは酷すぎますよ」「されば必死で闘うようになる」「しかしせっかくご苦心の作ですが、藪蛇にもなりますぜ。隊士にすれば敵を切って逃すよりも、切らずにこっちが逃げたほうが身のためということになる」「それも切腹だ」「はあ?」「第一条、士道に背くまじきこと」「なるほど」。隊士にすれば一たん白刃を抜いた以上踏み込んで踏み込んで敵を倒すしか後がない。「それが嫌なら?」「切腹」「臆病な奴は隊が恐ろしくなって逃げだしたくなるでしょう」「それも第二条により切腹」
若い血気盛んな隊士には身震いするかの如く結束がもたらせられたという。当然脱走者も出た。当然斬られた。
この痛烈な空気感を取り入れていたのが当時の属していた会社である。そんな社風なので出来ない奴は去るしかなかった。今のご時世なら考えられないが僕はむしろ楽しんでいた。会社に不満を持ったことも無かった。不満があれば辞めればいいだけの話だ。僕はそんな緊張感が好きだった。ライバル会社と商談でラップして決めきれなければ切腹。1日出勤してまともな利益を会社に与えられなかったら切腹。真面目にそう信じ込んで過ごしていたのだ。土方に殺される。それは本を勧めた上司である。しかし当然の如くこの会社は以後何回か従業員家族から訴訟を起こされる。それを経たのか今では従業員第一の優しい会社となっている。だが相変わらず一人当たりの生産性は業界中ずば抜けて高い。余談だがその上司は今ではその社の社長である。例えば現代において飛ぶ鳥を落とすキーエンスなんかもそんな感じではないだろうか。同じ思想が根底にある気がする。
それはさておき、当時の僕には真剣さが全くなかったのだと今なら思える。もちろん、自分では真剣にやっているつもりであるが、命がけで仕事をするってことではなかった。あのままでは到底駄目だった。今でもやれているかは別にして、大した成果もなく、それについて疑問も感じないか、なぜ出来ないかを棚上げしたまま保留癖がついているというような優柔不断で自信の持てない生涯になっていたと思う。一冊の本は効果的だったと言わざるを得ない。
普通に考えて「燃えよ剣」の映画化は難しい。「るろうに剣心」みたいに3部作くらいが妥当だ。岡田准一がすごい才能の俳優というのは解っている。だがそもそも岡田准一に土方が務まるのか。狂気がない。そして沖田総司。山田涼介。この映画の最重要役。本当は東山紀之みたいな眼の役者じゃないといけない気がする。だが東山は歳を取りすぎている。予告編観てたら凡庸な予感がする。ど素人と言われようが私が作りたい。
おしまい