ミルクボーイの伝説少年

THAI-YA-TAIの最終回。

ミルクボーイが来るまであと1時間である。カバンの中に本はたくさん入っているし教科書もあるから1時間くらいなら余裕で過ごせるがだ、なんかあからさまに芸能人待ってるというのも他のお客さんからこいつもミーハーかと思われるのも嫌だし、でも待ってるお客さん全員ミーハーってことやし大丈夫か、などと余計な事ばかり考えていてふと、男性客は俺一人だから確実に喋りかけられるんじゃないかと思った訳ですよ。そこでもしも会話を振られたらどう喋ろうかと考えてみた。

-最近オカンが聞いてきたんやけどね、このへんで美味しいタイ料理屋があるらしいねんけど知ってる?

ああそれなら東梅田のTHAI-YA-TAIちゃうか。あそこのタイ料理はほんまもんらしいで。

-俺もそう思たんやけどな。オカンが言うにはそこの名物料理がナポリタンや言うねん。

ほなTHAI-YA-TAIちゃうがな、ナポリタンいうたらイタリア人しか食べへんで。

・・・・。

全然、おもんない。

というか難しい。どすべり間違いなしやし空気を壊す。ロケに迷惑かけるのも悪いしお客さんしらけさせるのは自分が恥ずかしい。大体ナポリタンから発展させられへん。発展させるにはイタリア人をどういじるかだが、もっと考えなければ。時間が無いぞ、急げ俺!

と、いろいろ頭の中で考えているとなんだか緊張してきたぞ。お、店頭にタクシーが止まった。先乗りのスタッフさんか。タクシーで来るんかいな、経費削減関係なしやな。否、専用車常備してる方が経費かかるのか。などとどうでもいいことが頭をよぎりつつ3時まであと15分。次にタクシーが止まったらついに絶対ミルクボーイやでと、外を眺めながらまだネタが思いつかん、どうするべと思っていたら余計に緊張してきたやないか。そもそも絡まれることを前提にしている。私はただの素人なのに。否、準備は周到にした方がいいに決まっとる。もしかしたらネタがおもろかって友達になれるかもしれん。そうなったら万に一だが素人でもたまに番組で呼んで貰えるかもしれん。うお~、余計に緊張してきたで。こいつはすべれんがな~、とこの刻。この瞬間。予期せぬ音。

電話が鳴った。

母親からだった。

またである。この前のこともあるし出ない訳にはいかない。しかもこんな時にである。

帰ろう。緊急事態だ。秒で会計をすまし可能な限り迅速に店を出た。すでに切れている電話を覚悟をもって掛けなおす。母につながった。

 

「ああ、間違えてかけてしもてん」

 

 

おしまい

ミルクボーイの伝説少年。eo光チャンネルホームページでアーカイブでご覧いただけますので是非ご覧ください!!

注・・・そもそもナポリタンはイタリア人は食べません。食べるのはオッサンだけです。

 

THAI-YA-TAI つづき

今が人生のピークだろうかと見間違うかのようだ。私の今はそんな状況下にある。これでもかと思い通りに運び、そんなことある?っていうくらいに神がかったことが起きて幸運を呼び寄せている。超常現象のような日常がいくつも起きる。宝くじが当たった訳ではないし、そもそもお金が増えたとしても幸せではない。けれども小さな幸せがあれよあれよと押し寄せて来ているのだ。私は今、万能感と多幸感に包まれている。非常識で不可能に思えることも今なら出来るかもと思える程だ。

遂におかしくなったのか。否、頭は元々おかしいだろ?

いえいえ、別に変な薬打ってるわけではありませんよ(笑)。へんてこな壺を買った訳でもない。これが恋なのか。恋という言葉の意味すら理解できないくらい縁がない。しかし先ほど述べた人生のピークというのはまだまだ先である、と信じたい。この程度ではないはずだ、と思いたい。まだやり遂げていない自分に課せられたミッションはたくさんあるが時間は刻一刻と少なくなってきている。これは何人たりとも抗えない。そしてやはり良い事ばかりじゃない、それが世の常だ。

先日、会社が終わり外で遊んでいた。21時頃だった。電話が鳴った。母親からだった。暫く鳴っていたらしく出ようと思ったら切れた。嫌な気配である。母からの電話は普段はない。あって2~3年に一度なのだ。しかも内容にろくなものがあった試しが無い。しかもこの時間である。まずまともな内容ではないなと思っていたら、またかかってきた。尋常でない雰囲気を覚悟して出ると「お父さんがっ!お父さんがっ!大変な事になった!すぐ帰って来て!」と狼狽した様子である。普段の母親なら命令口調なのだがこの時はそうじゃない。それだけでも事の異常さを察知した私は「ついにこの時が来たか」と冷静に「解った、すぐ帰る」とだけ言って電話を切り、可能な限り車を飛ばした。

家に着いた私はいたって冷静だった。こういう時こそ冷静沈着でいなければならないと思っている。静かに歩いてゆっくりとそして覚悟をもって中に入るとリビングに人はいなかった。TVだけがついているが静かなのだ。風呂場に通じる扉が半開きになっていたのでそこかと思い風呂場に向かう。風呂場で事が尽きるケースは周りでもよく聞いているし何も違和感はない。この時が来たのだなと現場を見た。浴槽のお湯はもうない。浴槽に横たわる父を洗い場に座りながら見ている母。僕は冷静に慌てることなく「救急車はもう呼んだんか?」と言った。「呼んでない。意識ははっきりしてそうやし。」「えっ!?」。さすがに「まだ生きてんのかよ!?」と口から出なかったが、そうです、どうものぼせただけだったというのが真相だったのです。あまりに長いので見に行ったところ沈みかけていたらしい。で、応急的にお湯を抜いたらしい。少し遅れていれば溺死していたであろうが九死に一生を得たのだろう。おそらくあと5分とかそんな時間が事を大きく左右するのだろう。運が強いなと思った。

そこからが大変だった。この歳のね、僕ら世代の人達ならもう経験済みかも知れないけれどこのようになった人を抱きかかえて起こすのは無理なのだ。重すぎる。どんなに踏ん張っても大人の男でもびくともしない。そうこうしていると弟夫婦がやってきた。弟嫁は介護福祉士の資格を持ちそういう施設で働いていたので慣れたものだった。びくともしない父親を一人で浴槽から立ち上がらせた。そんな方法があるのかと感心するのだが、脳梗塞の疑いもあるので今からでも救急で診てもらった方がいいということだった。そもそもだ。父と母はそうでもなさそうだが、私と父、私と母の仲は実は良くない。これには少し事情があるが割愛する。「お前ら(弟夫婦)が連れて行けや!」と言いたかったが長男の責務という言葉がよぎり僕が母親を同乗させ連れて行った。この時22時。

コロナ禍の甲賀病院は初めてだ。急患は自分も何度か経験があるがいつもに増して静かだった。父は母に支えられながら自力で歩き診察室に入っていった。診察を終え部屋から出て来た父は手足の痺れもなく真っ直ぐ歩けているので異常は見られないので大丈夫でしょうと、今後の様子を見て下さいとのことだった。実は僕は2~3日前から下痢でもないのに下腹部が痛い。癌が発覚したとしても治療はしない、あっさりと死ぬという主義なので、定期健診にも否定的である。しかしあまりの異常な痛みなので治療の為の人間ドックと脳ドックを受けるというのは悪い事でもないと思っていた矢先だった。コロナ禍なので余計に不必要な会話は慎まなければならないのを敢えて聞いてみたのである。それほど腹が痛い。たまに心臓も痛い。頭も痛い。夜勤の事務の方に聞きましたよ。

「あの~、こんな時に何なんですけれども、全く関係ないんですが、マスク越しなので喋っていいですか?僕、2~3日前からお腹も痛いし初めて人間ドッグ受けてみようかと思ってるんですけどこのコロナの状況でもやっておられるのですか?」担当者は苦笑しながら「救急と向こうはまったく別の組織になっていて解らないんですよ。明日でも向こうに聞いていただけますか?」だと。なんで苦笑されたのかはさておき、まあいいや、縦割りかよと思いつつ、数日たつがまだ問い合わせてはいない。実は甲賀病院にも甲南病院にもお世話になりたくない理由があるし、お腹もそんなに痛くなくなってきたし。ということで静かに廊下を3人で車に向かう。

不思議な光景である。このように私と母で父を支えて3人で歩くことなんか人生で予想もしていなかった。それほどこの親子の間にはいびつな蟠りがあるのだ。それを開放する日が私の人生におけるひとつのテーマだと思ってはいるのだが身体が拒否して動かないでいる。それに関わらず今は父親を支えながら歩いているのだ。父は支えていないと右に傾きすぐに右壁に当たるので、本当に大丈夫かよと思いつつ、のぼせてるだろうしまあいいかと帰宅(笑)。時間は23時。今が人生のピークだったら確実に嫌だ。

というですね、事があった訳ですよ。これがミルクボーイの話の前段。みなさん、鋭い方はもうお気づきかも知れませんが続きはまた来週へ。

 

つづく

 

 

WIFIなくても観るべき動画!  なのかぁ?(笑)

ミルクボーイの前にどうしても整理しておきたい。

う~ん、今日もTBSの「グッとラック」観てたら気分が悪くなってきた。だったら観なきゃいいじゃないかという話なんですがだ、一応チェックしておかないと世間の全体像が見えないから嫌々でも観なきゃと思っています。苦行です。みなさんの興味がそこに無いのは解らないでもないが手短に整理したいのが今回の森喜朗氏注1の失言問題について。なぜなら現代社会において結構これは知っておいた方がいい前提となるからだ。

あるコメンテーターの発言で「後任を選ぶ際にどのように選んだかが見えることが最も重要と思っていて・・・」という主旨の発言があり、これは民主主義を理想とする典型的な意見だと見えるかも知れない。一見まともそうに思えるが実際にいろんな会議などで議決されてきた経験のある方だとわかると思うが多数決ほど妥協案に落ち着く確率の高い手段はない。しかし、平等・公平という側面からみると最も有効そうではある。民主主義の限界とはまさにこれで、それ以上に有効な手段をまだ私たちが生み出していないので仕方なく使っているに過ぎない。

僕は「どんな選び方よりも重要なのはこの騒動を乗り切れる真の実力者を選ぶことだ」と言いたい。何故なら目的はこの騒動を好転させオリンピックを大成功に導くことであるからで平等や公正を最終目的としていないからである。理想も大事だが現実の方が大事である。何故なら社会はそんなキレイなものでも単純なものではないからで、時には独断も密談も有効な手段であれば大いに結構なのである。大事なのは目標のクリアで平等の担保は二の次だ。もちろん否定はしてはいけないが理想と現実の乖離はつきものなのでね。

どうもリベラルと呼ばれる方々はそんなことよりも平等や公正の方が大事だと思われる言動が端々に見受けられるが、はっきり言って、つまり言いたくはないが、やっぱり止めとこう。代わりに高橋洋一先生が言います(笑)。

注・・・くれぐれも当店のお客様の学校の先生、公務員のみなさま方におかれましては全く該当しないという事を強く申し上げたく存じます(地方公務員は別という事でして、市役所、公共医療機関、その他もろもろの部署で勤務されている皆様、いつもご苦労様です)。

もうひとつ。老人を叩くなと言いたい。もうおじいちゃんじゃないか。一階でも三階でもない人ももう何言ってるのか解らないレベルでこれはこれで問題であると思うが、もうちと優しく見てあげてもいいんじゃないかという気はする。実際に森氏は金も組織も動かす力を持っているのが現実なんで、それを含めて老害と言いたい気持ちもわかるが、言うなら自分が取って代わるくらいの行動を示すべきだと思う。出来ないんだよ、口で言うのは簡単だけど。老害という言葉は若年者の実力不足を自ら告白しているのと同義である、と僕は思います。これも理想と現実の乖離のひとつです。年齢差別といえることも付け加えておく。

全く報じられていませんがそもそもこの問題の発端は2003年に国は2030目標注2というのを取り決めたんですが、JOCは20%しか女性理事が入っていないという事で山下泰裕会長を擁護するためにJOCの会議の場で森氏が発言したのが発端でした。謝罪会見は内容共々良くなかったですが、会議での発言内容はごくまともなものだったそうです。森氏は2030問題を解決しようと発言したに関わらず一部メディア注3が「切り取り」で女性蔑視というレッテルを貼ったおかげで本質の議論は吹っ飛んでしまったというのが真相です。その為に本来の目的である女性登用という課題を封印してしまった、政治的に批判を和らげる人事をしなければならなくなったのですから、これを機会に正すべきなのです、本当は。

そもそも自分を棚に上げて注4他人を叩き過ぎだろうと思います。ちょっと考えたら解りそうなもんですが解らない人達の集合体がメディアであると。ガン闘病中の笠井信輔アナには申し訳ないけど昨日の記事は低レベル過ぎた。もっと勉強して下さいと言う方が無理なのか、あの動画見た後では。

しかし、今日の文章。ところどころを切り取ると僕はとんでもない差別主義者のようじゃないか。躊躇いはあるがあえて公開しよう。どうせそんなに見てないだろうし(笑)。

あ、ミルクボーイの話ね。今のところオチが弱い。どうすっか。

 

 

 

おしまい

 

注1 ・・・ 昔からこの国の失言王といわれるが、最も評価されていない人物といえるほど裏でやってきた功績は多大である。死後一冊の本にまとめられるのは確実だがあまり売れないと思われる。おそらくここまで出来る政治家はあと20~30年は絶対に現れないと言えるほど、日本では評価されていないが世界的には最高評価の稀有で気の毒な人物であり、それが森喜朗たる所以だと思う(笑)。台湾問題、李登輝氏との関りはあまりにも大きく最高の功績だといえよう。近しい人の一部では政治家なのにお笑い芸人より面白いという評価があり、なので外国要人の受けが良いらしい。

注2 ・・・ 2020年までに指導的立場にある人々の30%を女性に割り当てようという目標。

注3 ・・・ そのメディアは某朝日新聞と某NYタイムスです。

注4 ・・・ 私も棚に上げています(笑)。

 

東梅田 THAI-YA-TAI

当店の定休日である水曜日は梅田までスペイン語を習いに行ってるんですが、お昼をどこで食べるのかも一つの楽しみでもあります。本来なら午前中の授業が終わってスペインバルでタパスとワインを飲みながら小説を読むというのが理想ですが梅田界隈の静かなスペインバルでランチ営業やってるところは残念ながらこのコロナで消滅してしまいました。なので西梅田の珉珉でさっと食べて帰るというパターンが殆どです。特に一人で入るのが苦手で珉珉ですら初めて入るのに1か月かかったほど無理です。通り道にある昼飲みできる肉バルなんか勇気が無くてついに1年経っても入れずついに閉店してしまったほどです(ここは再開発で梅三小路そのものが閉鎖)。店員さんきれいだったのになあ。

しかし、のんびりできて全然一人で入れるお店を発掘しました。東梅田にあるTHAI-YA-TAIというタイ料理屋さんです。ちょっと前に知人と夜、天満でご飯食べていて帰り道に立ち寄ったお店でフレンドリーな雰囲気だったのでこりゃ今度一人でも来れるなと、さっそくこの水曜日に行ってきましたよ。

普段なら一人でお店に入るのが抵抗ありすぎる訳ですがこの店は全然行く気満々でお店の前に到着したわけです。さあ入ろうという所で店頭にランチメニューがあって立ち止まって見ていると中から厨房のオッサンが出てきて強引に入店させられました。いや、入る気満々なんすけど(笑)。

中に入るとこのお店、決して小奇麗ではありません。むしろ小汚いんですが、だがそれがいい。屋根のついた屋台の雰囲気です。そこが僕の居心地のいい空間と言える所以です。僕くらいの年齢の女性の二人組が昼間っから飲んでます、学生かOLか解らない清楚な女性一人がランチしているという雰囲気。女性一人でも来れるんだ、勇気あるなあと僕なんか思ってしまいますがまあ普通の光景ですよね。

ここの従業員は全員タイ人で手を引っ張って強引に中に引き入れた男性はよく見りゃこの間ビール奢ったったオッサンでしたが僕のことは覚えていないらしい(笑)。飲食業の方って僕らもそうなんですけどよくお客さんの顔を覚えてるもんなんですがまあいいやと、まずタイのビール、SINGHAを頼み、何種類かあるランチメニューからグリーンカレーとタイ風焼そばのセットを頼みました。で、今日やったスペイン語の復習に入ります。この時1時45分くらい。

タイ料理は詳しくないんですが、この焼そばとかいうものはベトナムのフォーみたいな麺を肉と野菜でエスニック調に炒めていましてエビの風味です。まあ最強の焼そばは大分の想夫恋と思ってますのでこれは焼きそばかぁ?というものでしたがグリーンカレーは普通に美味しいですので機会があれば行ってやってください。前回はプーパッポンカレーを頼んだんですが、もっと美味しいプーパッポンカレーを食べたことがあるので今回はまあいいかと(次回はマッサマンにしよう)。

お客さんは今がランチかというような仕事中らしき二人組の女性も入って来て、とてもきれいです(笑)。よくみればすっかりお店は女性ばかりの中に僕だけ男一人で浮いています。そうこうしているとこれもこの前にビールをご馳走した経営者らしきタイ人のおばちゃんがやってきて(この人も僕のことを覚えてないようでそれなら覚えるまで来たるでと固く決意します笑)、一枚の紙を出すわけですよ。何かと思い目をやると手作りの1枚の広告でした。よく見ると本日3時にロケ取材でミルクボーイがやってくるという内容。よかったら残ってて下さいとの事。同様に全部のテーブル周って紹介していて一様に「えーーーーーーっ!」ってなってました(笑)。ミルクボーイ。待つべきか帰るべきか(笑)。

この続きは次回!

 

Otra vez sera(おしまい)

これからの良い子は統計学を学びましょう

僕が大変参考にしているマクロ経済学の先生、高橋洋一先生のブリンストン大学留学中の先生は元FRB議長注1の超有名人バーナンキさんです。ちなみにYoutubeの高橋洋一チャンネルはとても有効だと思いますのでぜひ見て下さい。え~と、何の話だっけ。前にも書きましたが日本の経済学は世界からみると異端で変であり幼稚です。これはノーベル経済学賞のポール・クルーグマンやローレンス・サマーズなど世界の名だたる経済大学者が言っているので僕の個人的感想を言っている訳ではありません。何が言いたいのかというと同様に日本における統計学もまったくもって時代遅れでデタラメです。そもそも統計学を教える人が絶対的に少なく、まともに計算できる人というのは企業においても高橋氏いわく日本には数人しかいないと言います。高橋さんが米国で感じた違いは米国では統計学を極めると年収数千万円で企業に召し抱えられるくらい、重要なポストとして重宝されるといいます。それだけ統計学を重要視しているのだが日本では手当ても出ないレベルが現状という圧倒的な差であります。これだけみても日本の統計学者が育たない理由が解りそうなものですが、要するに信じられないが国も大企業も統計学を重要視していないのです。そんなの嘘だという大企業の社長や官僚がいらっしゃいましたらぜひデータをみせて下さい。数日頂けましたら欠陥を指摘して見せましょう。

昨日、元厚労医系技官の木村もりよさん注2がワクチンの話をラジオで話されてました。僕は統計学を考えるうえで統計を取る前に日本ではデータの取り方からしてなっていないと以前から思ってたんですよね。以下、木村もりよさん曰く。

イスラエルではたくさんのデータを取っていて例えば米国のPfizer製のワクチンを打ったところどうも思ったより予防効果が出ていないというデータが既にBMJというジャーナルに出ています。ワクチンを輸入して使うんですけれども、そこからどの程度の有効性があるのか、どの程度の有害事象が出るのかを細かく追わないといけない訳です。これをやらないと有効性や安全性が解らないし、このデータというのは製薬メーカーにとっても今後のワクチン開発においても非常に重要であると。ところが日本はこれが出来ない。今まで国を挙げてやったこともない、やる気もないんじゃないか、キャパシティもないし、だという。つまり出来る仕組みが出来ていないのである。残念なことに予算も人も準備出来ていないと思われます。

例えば65歳以上にワクチンを打つにしても、打つグループと打たないグループに分けて経過観察をしなければならない訳で、ほらね、人権侵害だとか何だとか騒ぎ立てる人や団体を考えると出来ないと思えて来ますでしょ。保健所も人的にパンクしてますしね。これがないと将来この騒動を検証する上でロックダウンの有効性やワクチンの安全性など今後の指針を立てるのに必要な科学的なデータが無いというのは致命的だと言えます。データが無ければ議論が成熟しない訳でそれでまともな判断や政策が打てるはずもありません。政治的ダメージを回避したいが為だけに、緊急事態宣言がいい例ですが、ただなんとなく世論を忖度した非科学的な政策になる訳です。データ取ってくれないからと言って製薬会社に後回しにされる国というのもなんだか情けないしね。というですね、コロナで露見した我が国の統計学の未熟さを僕たちは知っておいた方がよろしいかと思います。ちなみに世論調査などのデータは対象から質問内容から全くデタラメな代物ですので信用されないのが賢明です注3

ちなみに先日言いましたワクチンを打ちたがらない世論意識というのは、欧米諸国には少ないらしい。特にノルウェーでは無いようです。理由はワイドショーが存在しないから、らしい(笑)。個人的な新型コロナの日本におけるファクターXというのは「ラッキーだった」という事ではないかと思います。

おしまい

 

注1 ・・・ FRBとは米国の日本でいう所の日銀のようなものです。「米国」「経済」「景気」でネット検索すると「FRB」「FRB議長」が最も多く出てきます。日本でこの検索をしても「日銀」「日銀総裁」というのはあまり出てきません。この理由テストに絶対出ませんがポイントです(笑)。しかしこんな核心がテストで出なくてどうするよ(笑)。日本の大学の経済学はいったい何を教えているのだか解らない。

注2 ・・・ 「COVID-19 新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか」という本が飛鳥新社から2/16に発売されます。現在Amazonカテゴリー1位。この本はコロナ関連本の中では極めて優秀と言わざるを得ません。ついでで申し訳ありませんが門田隆将さんの「疫病2020」もぜひ読んでみて下さい(笑)。こちらも極めて優秀な本で滋賀医大に入学した友人の娘に貸しましたが半年がたちまだ返って来てません。読んでんのか?

注3 ・・・ 政府系でいうと景気ウォッチャー調査が唯一信ぴょう性が高いです。数字というのは条件を満たした有利な数字だけを使えば結論をコントロール出来ます。そして世論誘導などに頻繁に使われています。使っている奴らは捕まらない詐欺師といっても過言ではありません(笑)。