大阪都構想の裏

保管庫の補足をしておきます。

前回、堺屋太一さんが目論んだと書きましたがそれは道州制への変革であって、元をただせば2003年、もう17年も前の太田房江知事時代に大阪財政がめちゃくちゃになりこのままでは大阪が壊れてしまうと自民党の一部の議員が立ち上がり大阪自民が2つに割れました。それが松井一郎と浅田均です。発端はこの2人で浅田均こそが頭脳となり維新の原型が出来上がりました。このおっさんは英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、バリバリの大阪弁を喋り、スタンフォードにも留学した2世議員ですが地方議員にしてはありえない頭脳を持っています。ですから橋下徹出現より7年も前から都構想は始まっていたのは実はあまり知られてはいません。

そして今から13年前に太田房江さんを破りそこから大阪府民誰もが認めるほど大阪は変わりました。橋下徹を神輿に乗せて大阪維新の快進撃が始まるそこには島田紳助さんと故やしきたかじんさんのピース失くしてなかったと思います。

それはそうと好感度のある吉村知事が今回積極的に出て来なかった理由も述べておきます。今年の3月くらいからある政党が放送法第4条に反するという内容で猛烈にTV局にいちゃもんを付けてきました。都構想が有利になるので吉村をTVに出すな。そんなことを言ってもコロナの会見とか知事が出ないと始まらないのでいちゃもんレベルなのですが都構想で番組討論をする際は吉村が出て来たら出ないと。しかし松井なら出ると。TV局側は討論番組が作れないので維新は松井さんを出すしかない。吉村さんが表舞台に出て来なかったのはそういう背景がありました。ある政党は姑息ですが戦いの上ではナイスプレーでした。もちろんこんな情報はもちろん地上波では報じられる訳がありません。

もうひとつ、地域別の投票割合を見てみるとかなり傾向が見て取れます。年齢別が取りざたされていますが実は大して意味は大きくありません。しかも前回も同じ傾向なのでおそらく次やっても同じ結果になると思いますが、平均所得が低いところは反対しているというのが本質です。これは世界でもよくある事情で数十年で変わるものではありません。将来不安と密接に関係していて変革にはネガティブなんですね。ということはそこが無くなれば可決ということになる!?

でもこれ、そういう問題じゃないんですよね。前回も書きましたが一国における地方自治の問題なんで(ここ甲賀市なんて100年たっても基本姿勢は変わりません)。ブラマヨの吉田さんなんかは凄く理解されています。また彼の発信した内容に対するコメント欄に書き込む人たちも凄く理解されています。しかし大阪市民の多くは実は理解が無かった。理解させなかったのは維新の問題ですがだからこそ思うんですよね、民度の熟成はまだまだだと。100のうち30くらいかなと。

ということで簡単にまとめましたが結論としてたかじんさんがいれば都構想は賛成多数だったと思います。今更ながらたかじんさんは凄い人と思わせる大阪都構想問題でした。

 

 

おしまい