俺の残りの人生はどうすんだ!?

 憲法記念日に都内で開かれた護憲派の集会で音楽評論家の湯川れい子さんが「憲法9条は世界の宝だ」と訴えた記事があった。湯川れい子さんといえば往年の洋楽ファンの方なら知らない人はいないと思う。当時ぼくが購読していたロッキング・オンではなくミュージックライフという雰囲気だったような気がする。はっきり覚えていないがもっと世代が上なのだ。調べていないがビートルズが現役の頃もう活躍されていたと思われるので大御所で間違いないだろう。それで詳しくはなんて言ったかを産経新聞より抜粋する。

「私は憲法9条を守るために残りの時間をかけたいと思っています。1966年、ビートルズが武道館を使う時に、今日のように右翼の街宣車が走り回りました。【薄汚い西洋こじきは出ていけ】【神聖な武道館を使うな】。しかし当時若かった私は、そんなバカな話はない。彼らの音楽は【言葉は違っても、肌の色の違いはあっても、みんな楽しく生きようよ】と言っている。そのことが私には理屈を超えて分かりました。」

「考えてみて下さい。戦争をしているところに音楽はありません。右翼の街宣車もマーチを流しているし、ヒトラーも演説の前にはワーグナーを流した。でもそういう意図的に使われる音楽ではなく、私たちがこうして楽しく集まってみんなで歌い踊るところに殺し合いなどありません。対立があるところに平和は無いのです。」

「私が【憲法9条】というと【そんなもので平和は守れない自分の国や女や子供をどうやって武器がなくて守れるんだ】と言われます。違います。人間が人間を殺すことを恥じないといけないのです。本当に心から恥じないといけないのです。他の動物がそんな事をしますか?恥ずかしい事に知性のある人間だけがそのような事をします。」

「憲法9条はあらゆる意味で、あらゆる理屈を超えて日本の宝です。世界の宝です。9条は変えないけれど、そこに自衛隊を書きこむなどというインチキは絶対に許してはいけません。どうぞ皆さん誇りを持って恥ずかしいなどと思わないで人を愛して下さい。語り合う事を信じて下さい。そして未来の自分が作る平和な世界を信じて下さい。心から信じましょう。」

ぜひ湯川さんには答えて頂きたい。幸福の追求の為にあるはずの宗教でなぜ宗教戦争が絶えないのか?スターリンが自分の為に何百万人殺害したか知らないが中国の文化大革命ではさらにその何倍も人間が殺されている。天安門事件もしかりだ。さらにチベットをはじめウイグルに対する中国は武器を持っていない国だからこそ徹底的に蹂躙するという歴史をもう3000年も続けてきた。あなたは彼らを説得できるのか?人間が人間を殺すという事でいえば第一次、第二次大戦で人類は大いに学びました。それがハーグ陸戦条約であり国際法である。尊い犠牲の命の上にです。それでもなお争いが絶えないのはなぜか?憲法9条のプラカードを持ってシリアの交戦地、アフリカの内戦地に立ってみて下さい。すぐに殺害されることでしょう。信じるだけでは宗教なのです(おまけで生物学の話をしますと殺しあう動物は知性のある人間以外にもいます)。

論理的に考えればすべてを理解できる。僕の暴論を披露しよう。

憲法9条は思想であり宗教である。ただしすべての人種、宗教、国家においてすべての自治体や国が憲法9条を導入すれば法足り得る。湯川氏の言葉は実現する。しかし人間である以上それは無理なのだ。それが人間という生き物だからである。だからこそジョンレノンは殺されるべくして殺害されたのである。これを学習していないのが護憲派の大きな問題なのだ。

ただしこれには大きな弁護すべき問題がある。日本の教科書はそのように、誤解するように作られているのである。だからこそ真面目に勉強する子の方が間違います。これはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの弊害と呼びます。犠牲者と言ってもいいでしょう(気になる方はWar Guilt Information Programで検索してみてね)。

最後に護憲派の方に提案があります。憲法は変えてはいけないと言うならハンムラビ法典は今でも使われてなくてはいけません。何も神が作ったものでなく人が作ったものだから変えていいのは当たり前なのです。現行憲法24条では「婚姻は両性の合意によって成立・・・・・・」とある。両性とあるはおろか、婚と姻は男と女を表す。つまり同性婚は憲法違反なのである。よって時代が変わればどんどん変えていけばいいのです。理想は誰にでもあるがもう少し現実を踏まえた上での議論が必要なのではないでしょうか?理想主義者こそ現実主義者であるべきです。僕も含めて残り時間の少ない年配の人こそ自覚していただきたい。

 

 

 

おしまい。