教養とか何か その2

社会に出るとなにが正解か解らない問題に直面します。しかし学校教育というのは正解がある問題、かつ解き方ばかりを教えます。高得点を取る、つまり成績が上位の者であればあるほど実は自分の頭で考える事よりも効率的に解答に辿り着く手順を要領よく記憶しています。さらにいうと勉強法は過去問を参照する暗記頼りになります。短時間で済むので高効率だと思いがちですが、とんでもない。しかも恐るべきことにその暗記教育ビジネスは強大なものになっていて本気でいいと思っている親御さんがかなりの割合でいるのだから将来的危険は計り知れません、この国は。

なぜなら記憶力が凄ければ社会人として有能かというと全く関係ありません。目の前でおこっている事象に対し、なぜそうなっているのか?、誰が何をしたいのか?、これがこうなるとここはこうなるだろう等、背景と仕組みを理解し、繰り返し間違えながら考えて行動する事でしか正解には近づけません。というか正解はなくて最適解はあるのだけれど、繰り返し考え、最も正解に近づけようと考えることでのみ教養は身に付くのではないかと思っています。考えるにあたって資料となるデータや歴史を調べる事で自然に知識は増えます。他国ではどうしているのか、他地域ではどうしているのか。上手くいった例、いかなかった例の問題点など。先人たちは過去はどう対処したか等を調べる。さらに多方向から特に逆方向から考えることで視野も広がります。そのようなものが教養ではないかと。昔から視野の広い人になって欲しいと当社のスタッフに対してずっと言ってますが、これって教養豊かな人になって欲しいと同義語だったんだなと今更思います。

さらにいえば、もう一つ。教養とは知的な知識や見識と言えるんではないでしょうか。知識がないと分析も判断も出来ませんからね。シェイクスピアのあの一文は私はこう解釈した、そして多大に影響を受けて今があると言っていいなどとの会話の入り口で使えば思わぬ同等の知識の方との繋がりにもなり得ます。教養は人を呼び寄せ結びつけます。

と書いてきたが、「考えることこそ教養である」という竹中平蔵氏の本を立ち読みしてるとこんな事が書かれているのではないかと想像するんですが(全部読んだわけではないので笑)。

まあともかく思考力の乏しい学生が多すぎます。アホがいっぱいいた方が統治は楽だし、しやすいですよ、コロッと騙せるから。しかし成長はしません。国主導で成長なんかする訳ありません、国は素人なんだから。30年間低成長ですと。思考力の低下とリンクしているという指摘は誰もしていません。学校や教育関係者を否定することになりかねないのでしづらいんですが私が指摘しておきます。ちなみに前にも言いましたが「きのくに子どもの村学園」は素晴らしいと思います。卒業生は出来る子ばかりです。毎日、自分たちで思考力を鍛えていますから。

思考力の低下は成長率とリンクします。ちなみにTKO木本がなぜ騙されたか?アホだったからの一言で片付きます。

育国債を発行し、子供に投資しないと未来はないのにどうしてしないんでしょうね。というところにも教養のない高学歴役人の限界を感じてしまいます(実は大企業の中間管理職もいい勝負です笑)。高学歴役人なんてこんなもんですがや、このままでは国が終わりますよ。だから地方行政こそしっかりすべきです。トップの責任は重いと言わざるを得ません。明石市があんなに実績残しているのに真似すらしないなんてどうかしているレベルです。あ、最後は役人政治家批判になってしまいましたが真実なので仕方はない(笑)。

 

 

 

おしまい