何の話やねん!?新型が出たというのに。

みなさん、こんにちわ。季節の変わり目にちょっと気を抜くと風邪などひいてしまいそうですがいかがお過ごしでしょうか?今月10月5日はNーBOXが一新され新たなスタートを切りましたが、ここでは一切触れず別の事を書くという、ぶれない姿勢で参りたいと思います。良いか悪いかは別にして。

坂東忠信さんの「あなたがここに転生した理由」という本を昔買ってたんですが、これは坂東さんの人柄に興味があったので著書を読んでみようと買ったものでした。決して人生について悩んでいた訳ではありませんし、スピリチュアルな世界に興味があった訳でもありません。そんな感じでひと通り読んでみた感想はまあこんな感じだろうなという感想でした。今回、なぜか読み返してみたんですよ、久しぶりに。何が書いてあるかというと、要するに肉体は魂とか意識のようなものの乗り物、次に行く場所までの移動体にすぎないと。で、次の行き場所は天国ではない旨が書かれてました。ではどこに行くのかというのは証明できるツールがないのでここでは触れません。興味ある方は本書を買ってみて下さい。

この本を読んでちょっと考えてみたのが例えば蝶の一生です。今年も春先に育てていたスダチの青葉をアゲハ蝶の幼虫が喰い散らかしていました。日に日にでかくなっていく青虫に腹立つ心を抑えてまあしゃーないなと成長を楽しんでいたものです。この青虫はいずれ動かなくなり体中が茶色に硬くなり蛹へと変化します。まさに死んでしまっているように動きが止まります。暫くして殻を破って成虫、アゲハ蝶に変体します。この時、青虫時代に青虫はすでに飛び回ってあらゆる花の蜜を吸っているアゲハ蝶をみてこれが自分の将来の姿なのかと自覚しているのかという疑問が湧くのです。本能として認知しているのかどうか私は青虫になったことがないので解りません。蝉なんてもっと解らない。土の中にいるから幼虫時代に外でミンミン鳴いている成虫の姿なんか見れるはずもありませんからさらに認知は出来ないでしょう。まあでもこれはDNAが乗り物を変えるという物的変化ですが、人間が死んで意識(=魂のようなもの)が乗り物を変えるというのとはかなり様相が変わりますが、これも人間の客観的な常識で考えられる範囲での唯物論に過ぎないのではないのかと思う訳ですね。

なぜこんなに辛い目に合わないといけないのか?なんてのも大きな目で見て「それが必要だからでしょ?」としか僕は昔から考えてなくて、それが死後の世界に必要だからというのもあらゆる宗教に共通して似たような解釈が存在します。僕は世界の宗教をひと通りかじった上で無宗教です。だから新たに新興宗教の勧誘では決してありませんよ、今回の文章は(笑)。

2~3歳児が前世の記憶をしゃべったりする事例は限りなくありますし実は良く解りませんが、人類というやつはここ1万年くらいの間に何回もこの繰り返しをしているのでしょうね。その割には未だに争いごとも絶えず、欲望に左右されあまり進歩していない気もします。あと1万年を要するのかどうかは解りませんがとにかく今日も悔いなくやっていこうって事でしょうか。

ちなみに私は次回は戦時下の超貧乏に生まれて、次々回は平和な超富豪に生まれて、次々次回は大規模な宗教の教祖になる夢を見たことがあります。これから考えると今回は低俗で下品な世界を学ぶというのがテーマだったりするのだろうな。なんの話やねん。最後まで読んで頂き、5分という貴重な時間を無駄にしたであろう皆様。すいませんでした。

あ、新型NーBOX発売しましたよ~。皆様一斉にお買い求め下さい(笑)。

 

おしまい